白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

スイスの科学者 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

スイスの科学者
2016/7/1
パウロ・コエーリョ

何も感じない。何も考えない。どこに行くべきか正確には知らない。まっすぐ車に乗り、運転する。行き先で私を待つ人はいない。憂鬱は無感動になった。私は自分を前へ引っ張らなくてはならない。

5分後、城の外にいる。ここで起こったことを知っている。;誰かがある怪物に命を吹き込み、それは今日でも有名だが、彼を創造した女性の名はほとんど知られていない。

庭への門は閉じられている。でも、だから何?私は生垣を登ることができる。冷たいベンチに座り、1871年に起きたことを想像する。気を紛らせなくては。過去からの全てを忘れ、別のことに集中するために。

その年を想像する。城の住人である英国の詩人バイロン卿が、亡命してここに住むと決めた年だ。彼は故国でも嫌われ、乱行パーティーを開き、公衆の面前で酔っ払ったと非難されたジュネーヴでも嫌われていた。彼は退屈すぎて死にかけていたに違いない。そうでなければ鬱になっていたか。または怒っていたか。

それは重要ではない。重要なのは、1817年のある日、英国から二人の客人が到着したことだ。:もう一人の詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリーと彼の19歳の妻メアリーだ。(4人目の客人もいたが、今は彼の名前を思い出せない。)

彼らは間違いなく、文学について話しただろう。彼らは間違いなく、天候、雨、寒さ、ジュネーブの住民、英国人の同胞、お茶とウイスキーがないということに文句を言っただろう。おそらく、お互いに詩を読み合い、お互いに作品を賞賛しただろう。

彼らは自分たちをとても特別でとても重要だと考えたので、賭けをすることにした。:彼らは1年以内に同じ場所に戻るだろう。それぞれが人間の条件について書いた本を携えて。

明らかに、人間がいかに完全に異常かについての最初の熱意と会話の後、彼らは賭けのことは忘れていたただろう。

メアリーはその会話の間、同席していた。女性で、さらに悪いことに非常に若かったために、最初、彼女は参加するように招待されなかった。だが、その会話は彼女に深く印を残したに違いない。時間をやり過ごすためにただ何か書かなかった理由があるだろうか?彼女には主題があった。単純にそれを開発し、書き終えた時に本を保持する必要があった。

しかし、彼らが英国に戻ったとき、シェリーは原本を読んでそれを出版するよう彼女を後押しした。さらに、彼はすでに有名だったので、それを出版社に送り、自分が序文を書くことにした。メアリーは抵抗したが、一つの条件をつけ、最終的に同意した。:彼女の名前は表紙に載せないこと。

初版の500部はすぐに売り切れた。メアリーは、シェリーの序文のためだと思ったが、第二版では作者として自分の名前を出すことに同意した。それ以来、その本は、世界中の書店にずっと存在している。作家、劇場監督、映画監督、ハロウィーンパーティーをする人、仮面舞踏会をする人がそれに影響を受けた。最近では、有名な批評家に「ロマン主義の、ことによればここ200年の、最も創造的な作品」と言われている。

理由は誰にも説明できない。ほとんどの人はそれを読んだことがないが、ほとんどの人は聞いたことがある。

それは、ジュネーブに生まれ、両親によって科学を通じて世界を理解するために育てられたスイスの科学者ビクターの物語だ。彼はまだ子供ながらも、彼は稲妻が木に落ちるのを見て、あれが生命の源だろうかと考えた。人は別の人間を作り出すことができるのだろうか?

人間を助けるために神から火を盗んだ神話の人物であるプロメテウスの現代版のように(作者は著書の副題として「現代のプロメテウス」を用いたが、これを覚えている人はほとんどいない)、神の最も偉大な功績を模倣しようと働き始めた。言うまでもなく、あらゆる注意を払ったにも関わらず、実験は彼のコントロールを外れた。

本の題名:フランケンシュタイン
(自著「不倫」からの引用)

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