白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

製粉小屋での1日 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

製粉小屋での1日
2014/12/17
パウロ・コエーリョ

今、私の人生は、「多くの人々」「何人かの人々」と「ほとんど誰もいない」という3つの異なる動きで成り立つシンフォニーである。その各楽章は1年に約4ヶ月続く。しばしば、それらは同じ月に集まるが、混ざり合うことはないのだ。

「多くの人々」は、私が一般の人々、編集者、記者と連絡を取っている時だ。「何人かの人々」は、私がブラジルに行き、旧友に会ったり、コパカバーナの海辺を散歩したり、時には社交イベントに出席したりするときだ。しかし、原則的には家にいる。

しかし、今日は少しだけ「ほとんど誰もいない」楽章にいたい。
ピレネー山脈の人口200人のこの小さな村に、夜はすでに降りてきていた。その村の名前は秘密にしておきたいのだが、最近、家に改築した古い製粉小屋を買ったのだ。

毎朝、雄鶏の甲高い声で目覚め、朝食をとって、牛や羊たちの間を散歩し、小麦とマグサの畑を通る。山のことを深く考え、(「多くの人々」楽章とは違い、)自分が誰であるのかを考えようとしない。私に答えはなく、疑問もなく、今の瞬間は完全に生きている。1年には4つの季節があることを理解し、(そうだ、それはとてもはっきりしたことのように思えるが、私たちは時々それを忘れてしまう)、私は周りの景色のように自分自身を変身させる。

この瞬間、イラク、シリア、またはアフガニスタンで起きていることに、さほど関心を持っていない。:田舎に住む誰もがそうであるように、最も重要なニュースは天気だ。この小さな村に住む全員が、雨が降るか、寒くなるか、非常に風が強くなるか知っている。なぜならこの全ては、彼らの生活、計画、作物に直接的な影響力を持っているからだ。畑の世話をしている農夫のそばを通り、「おはようございます」を交わし、天気予報について話し合い、それから私たちがしていることの話をする。つまり、彼は耕作していて、私は散歩しているというようなことだ。

家に戻り、メールボックスをチェックし、地方紙を見て、隣村でダンスがあり、全部で4万人の住人がいる大きな都市であるタルブのバーで講習があることを知る(夜、ゴミ箱に火がつけられていたため、消防士は呼び出されていた)。この地域を結集している話題には、田舎道でバイクに乗っていた若者の死を引き起こしたプラタナスを伐採したことで訴えられたグループが関与する。;ニュースのこの部分が、木を破壊することで若いバイク乗りの男の死に復讐しようと考えている「秘密指令」について、ページ全体と数日間に渡る報道を満たしている。

私は、私の製粉小屋を流れる小川の横に寝そべった。

起きて、弓道の練習に行く。弓矢を持った瞑想に1時間専念する。もうお昼の時間だ。:私は軽食をとり、古い建物の一室の奇妙な物体に気づいた。スクリーンとキーボードがあり、極めて不思議なことに、超高速DSL回線で全て接続されている。その機械のボタンを押せばすぐに、世界が私のところにやって来ると私は知っていた。

できる限り抵抗したが、私の指が「オン」ボタンに触れ、再び世界につながることとなった。新聞のコラム、本、インタビューの要求(年に3回以上のインタビューはしないことに決めた)、イラクアフガニスタンからのニュース、リクエスト、航空券が明日届くというメッセージ、延期するか、乗るかの決定。

数時間仕事をした。自分ですると選んだことだから。それが私の個人的な伝説だから。光の戦士は自分の義務と責任を知っているから。しかし、「ほとんど誰もいない」楽章の時、コンピューターのスクリーンに現れるものは全てとても遠い。ちょうど、私が「多くの人々」楽章や「何人かの人々」楽章にいるとき、製粉小屋が夢のように思えるのと同じように。

太陽は隠れ始め、ボタンは「オフ」になり、世界はただの畑、ハーブの香り、牛の鳴き声、製粉小屋の隣の小屋に群れを帰す羊飼いの声に戻る。

1日の間に、このような二つの異なる世界をどうやって動き回れるのか、私は不思議に思う。:答えは私にはわからないが、このことが私に大きな喜びを与えてくれ、これらの文章を書く間、幸せにしてくれるということはわかっている。

paulocoelhoblog.com 

youareme.hatenablog.com