白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

完全な孤独 その1 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

完全な孤独 その1
2009/2/5
パウロ・コエーリョ

記者は全てのインタビューを終え、出版社はチューリッヒに戻る列車に乗り、夕食を共にした友人たちは帰宅し、私はジュネーブに散歩に出掛けた。

それは並外れて心地よい夜で、通りは閑散とし、バーやレストランは活気に満ちていて、全ては絶対的に平穏で、うまくいっていて、美しく思える。そして突然、、、

絶対的に孤独だという思いが、突然に私を襲った。もちろん、今年は孤独なことが多かった。「もちろん」、ここから飛行機で2時間の場所で妻が待っている。
今日のように活発な1日の後には、古い町の通りや路地を散歩し、誰にも何も言う必要もなくて、周りの美しさだけを考えるよりも良いことはないのは明らかだ。今夜、私が知らない何かの理由のせいで、この孤独感が全く耐え難く、苦痛であることを除いては。
この散歩で街を共有する人が誰もおらず、言いたいことを言える相手がいないのだ。

もちろん、私はポケットに携帯を持っていて、そこには相当な数の友人がいたが、誰かに電話するには少し遅すぎると私は感じる。バーに入り、飲み物を注文する可能性を考えた。ほぼ確実に、誰かが私に気づいてくれて、仲間に加わるように誘ってくれるだろう。しかし、私は、この空虚感、私たちが存在していようがいまいが誰にも問題ではないというこの感覚の底まで深く入ることが重要だとも考え、このそれゆえに私は歩き続ける。

噴水を見、去年、私がアムネスティー・インターナショナルのために書いたテキストにイラストをつけてくれたばかりのロシア人の画家の女性とここにいたことを思い出す。
その日、私たちはほとんど言葉を交わさず、水のはねる音と、離れたところから聞こえるバイオリンの音楽に耳を傾けただけだった。どちらも自分たちの思考に包まれていたが、距離が離れていても私たちは孤独ではないとどちらも知っていた。

私は少しだけ歩き、大聖堂に向かう。
通りの反対側の半分だけ開いた窓から、一緒におしゃべりしている家族を見る。;このことは孤独感を非常に大きくするだけで、夕方の散歩は、今や、完全な孤独を感じるとはどう言うことかを理解しようとする夜への旅に変わった。

(続く)

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