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ペトラスと善き戦い - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

ペトラスと善き戦い
2008/10/30
パウロ・コエーリョ

1986年、最初の本で述べたように、私の生涯でただ1度、サンチアゴへの道として知られる巡礼に行った。小さな丘を登り終えたところで、地平線上に村が現れた。その時、ペトラス(それは彼の名前ではないが)というガイドがこう言った。:

ー 周りを見渡して、ある点に視線を落ち着けなさい。;それから、私が言うことに集中しなさい。

私は遠くに見える教会の十字架を選んだ。
ペトラスは始めた。:

ー 人間は、夢見ることをやめてはいけない。;食べ物が体に栄養を与えるように、夢は魂に栄養を与える。存在する中で、しばしば夢が敗れたり欲求不満になったりするが、夢を見続けなくてはならない。そうでないと魂は死んでしまうのだ。目前にある大地に多くの血が流された。レコンキスタの最も激しい戦いのいくつかはここであった。誰が正しいかったか、誰が真実を知っていたかは関係ない。:重要なのは、両方が善き戦いに従事していたことだ。

「善き戦いとは、心の要求によって戦われるものだ。英雄の時代、放浪の騎士の時代、それは容易かった。征服する土地と成すべきことがたくさんあったからだ。しかし、最近では、世界は変化し、善き戦いは戦場を自分自身の中に移した。

「善き戦いは夢の名の下で行われる。若い時代、それらが全力で私たちの内側で爆発する時、私たちにはたくさんの勇気があるが、まだ戦うことを学んでいない。

「たくさん努力した後、最終的に私たちは戦うことを学び、それまでに戦いに入るほどの勇気がなくなる。このため、私たちは自分自身に背き、戦うようになり、自分自身の最悪の敵となる。夢は子供じみていて、実現するのが困難で、または人生の現実の無知の結果だと言う。善き戦いに従事するのを怖れるゆえに、私たちは夢を殺す。

「夢を殺している第一の症状は、時間の不足だ。私が人生でこれまで出会った最も忙しい人々は、全てをする時間を持っていた。何もしない人たちは、いつも疲れ、やらなくてはならない小さな仕事に対処できず、毎日が短すぎると不満を言った。:現実には、彼らは善き戦いに従事するのを怖れているのだ。

「夢の死の第二の症状は、確実性だ。人生とは生きるべき偉大な冒険だと受け入れたくないために、自分の存在に必要な些事の中で、自分を賢く公正で正しいと思い始める。日常の胸壁を見越し、槍のぶつかる音を聞き、汗と火薬の匂いを嗅ぎ、巨大な陥落と戦士の渇望した勝利の輝きを感じる。しかし、喜び、戦う人の心に宿る計り知れない喜びには決して気づかない。彼らは勝利や敗北は気にしないので、重要なのは善き戦いに従事することなのだ。

「最後に、夢の死の第三の症状は平和だ。大きな欲求もなく、私たちが進んで与える以上のものは確実になく、人生は日曜の午後になる。
それで、私たちは成熟し、子供っぽい幻想を後に残し、個人的で専門的な成功を成し遂げたと思う。しかし、実際に起こったのは、夢のための戦いを捨て、善き戦いに従事するのをやめたことだと心の奥底で知っている。

「夢を捨てて平和を見出す時、短い間は平穏に出会う。しかし、死んだ夢は私たちの中で腐り始め、人生の至るところに蔓延する。

「周りの人々に対して残酷になり、この残酷さを最後には自分自身に向ける。病気と精神病が現れる。戦いによって避けたかったもの、失望と敗北が、私たちの臆病さの唯一の遺産となる。そして、ある気持ちの良い日に、死んで腐った夢が空気を吸うのを難しくし、私たちは死を待ち焦がれ始める。それは、確実性、関心事、そしてこのひどい日曜の午後の平和から私たちを救い出してくれる。」

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