白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

善き戦い - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

善き戦い
2007/9/12
パウロ・コエーリョ

「私は善き戦いをし、信仰を維持した。」と使徒書簡でパウロが言う。新年が目の前に広がっている今、そのテーマを思い出すのが相応しいように思える。
人間は夢見るのをやめられない。体に対しての食物と同じように、夢は魂の食物だ。私たちの存在において、しばしば夢が敗れることがあるが、夢を見続ける必要がある。そうでなければ魂は死に、アガペがそれに浸透しないからだ。アガペは普遍的な愛であり、誰かと「好くこと」よりも偉大で重要な愛だ。

夢についての有名な説教で、マーティン・ルーサー・キングは、イエスは敵を好きになるのではなく敵を愛するように求めたと言う事実を私たちに思い出させる。このより偉大な愛は、私たちがあらゆるものに関係なく戦い続け、信仰と喜びを保ち、善き戦いを戦うように促す。

善き戦いは、心がそれを求めるゆえに行うものだ。英雄の時代、十二使徒が福音を説くために世界に出て行った時代、または騎士が遍歴した時代、物事はもっと簡単だった。:旅する領域がたくさんあり、やるべきことがたくさんあった。しかし、今日では、世界は変化し、善き戦いは戦場から私たちの内側に移った。

善き戦いは、私たちの夢のために行うものだ。若い頃、夢が私たちの内側で全力で爆発する時、私たちには勇気がたくさんあるが、まだ戦うことを学んでいない。たくさん努力して、私たちは遂に戦うことを学び、その時にはもはや戦うほどの勇気がない。これによって、私たちは自分自身に逆らうようになり、戦い始め、自分自身の最悪の敵になる。夢は子供じみていて、実現が難しく、または人生の現実を知らない故の産物だと言う。善き戦いをすることを怖れるゆえに、私たちは夢を殺すのだ。

夢を殺している第一の症状は、時間の不足だ。これまでの人生で出会った最も忙しい人々は何をするにも時間があった。何もしない人々はいつも疲れていて、しなければならない些細な仕事にほとんど対処できず、1日が短いといつも不満を言っていた。実際には、彼らは善き戦いをするのを怖れていたのだ。

夢の死の第二の症状は、確実性だ。人生を生きるべき偉大な冒険とみなすのを望まないために、自分の存在にほとんど求めないのが、賢明で公正で正しいと思い始める。日常生活の壁を見越し、槍のぶつかる音を聞き、汗と火薬の匂いを感じ、偉大な敗北と、勝利を渇望する戦士の顔を見る。しかし、喜びを、戦っている者の心の中の計り知れない喜びに気づくことはない。彼らにとって勝利と敗北は問題ではなく、重要なのは良き戦いをすることだけだからだ。

★最後に、夢の死の第三の症状は平和だ。多くを求めず、与えたいもの以上を求めず、人生は日曜の午後になる。それで、自分が「成熟した」と感じ、「子供時代の空想」を捨てて、個人的で職業的な成功を確保する。自分の世代の誰かが、まだ人生にあれこれ欲しいものがあると聞いて驚く。しかし、起こったのは、私たちが夢のために戦うこと、善き戦いをすることをやめたのだと、心の深いところで知っている。

夢を諦めて平和を見つけた時、平穏の期間が訪れる。しかし、死んだ夢は私たちの内側で腐り始め、生活の場の雰囲気全体に蔓延する。私たちは、周りの人に対して残酷に振る舞い始め、最終的にこの残酷性を自分自身に向け始める。病気や精神病が現れる。戦うことによって避けたかったもの、すなわち絶望と敗北が、私たちの臆病さの唯一の遺産となる。そして、ある晴れた日、死んで腐った夢のせいで息苦しくなり、私たちは死を望む。確実性、心配事、ひどい日曜の午後の自由から自由になるために。
そうならないために、神秘への畏敬と冒険の喜びをもって2007年に向き合おう。

●単純なことから学ぶ

ブラガバッドギーターの中で、戦士アルジュナは悟りを開いた主に尋ねる。:
「あなたは誰ですか?」
「私はこれです。」と答える代わりに、クリシュナは世界の小さい事大きい事の話をし、彼はそこにいると言い始める。アルジュナは彼の周りの全てに神の顔を見始める。
私たちは全能の神のイメージと似姿から作られるが、自らをコ一貫性、確実性、意見のブロックの内側に閉じ込めようとして生涯を費やしている。毎日職場に行く途中、私たちは花の中、山の中、目にするものの中にいるということを理解していない。誕生という神秘から生まれ、死という別の神秘に向かっているということを、私たちはなかなか考えない。
これを深く考え、神の存在と普遍的な知恵が周りの全てのものの中にあるということに気がつけば、私たちはそれぞれの行為をより自由にできるだろう。以下は問題についての物語だ。:

●哲学者と船頭

スーフィーの伝説には、ボートで川を渡っていた哲学者の物語がある。
渡っている最中、彼は自分の知恵を船頭に示そうとした。
ショーペンハウアーが人類に残した偉大な貢献を知っていますか?」
「いいえ」と船頭は答えた。「しかし、私は、神を、川を、仲間の単純な知恵を知っています。」
「やれやれ、あなたが人生の半分を失っていることだけは知っていてください!」
川の真ん中で、ボートは岩にぶつかって沈んだ。船頭が岸に向かって泳いでいた時、哲学者が溺れているのが見えた。
「泳ぎ方を知らないんだ!」と彼は絶望して叫んだ。
「ショウペンハウアーを知らないせいで、あなたが人生を半分失っていると言ったが、今、私はとても簡単なことを知らないせいで全人生を失いかけている!」

●一方、ショウペンハウアーは、、、

ドイツの哲学者ショウペンハウアー(1788年〜1860年)は、ドレスデンの通りを歩いて、彼を悩ます質問の答えを求めていた。突然、庭を目にし、花について深く考えるのに数時間をとることにした。
隣人の一人は、男の奇妙な振る舞いに気づき、警官を探しに出かけた。数分後、警官が彼に近づいた。
「お前は誰だ?」と警官が荒っぽい声で尋ねた。
ショウペンハウアーは頭からつま先までその男を眺めた。
「それが花を見て私が見つけたいものです。もしあなたがその質問に答えることができれば、私は永遠に感謝することでしょう。」

paulocoelhoblog.com 

youareme.hatenablog.com