白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

音を色に変える - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

音を色に変える
2007/8/29
パウロ・コエーリョ

「ちょっと立ち止まって。私はこのオレンジ色に我慢できないの!」

どこにオレンジ色が?
私たちはローマのトラステベレにいた。私に見えるのは、数軒のバー、この凍りつくような早春に通りにいる人々だけ。それに教会の鐘の鳴る音。
曇りの日で夜になりかけていたので、目の錯覚を太陽のせいにすることもできない。
私は、しばらく前から知り合いになっていたある女優と散歩しているが、それらしい会話をする機会はなかった。彼女の要求で私は足を止めるが、ただの礼儀からだ。このよくバランスのとれたプロの女性は、私が考えていたよりも狂っているに違いないのだ。

夕食をとるために、私たちはレストランに入る。トリュフの入ったリゾットと上質なワインを注文する。私たちは人生についておしゃべりをし、再度、彼女はばからしい発言をした。:
「この食べ物は四角いわ!」
彼女は、私の顔に浮かんだ不安げな表情に気づいた。四角い食べ物?
「私の頭がおかしいと思うでしょうね。;でも、そうじゃないの。人生のある時、私は自分が色盲だと考えていた。そのために色を全部混ぜてしまうのだと。医者へ行き、共通神経障害があることがわかったの。」

帰宅して、私は直ちにコンピューターで調べ始め、人生でこれまでに聞いたことのないことを発見して驚いた。つまり、共感覚だ。ある感覚刺激が別の知覚を誘発する状態。このタイプの障害に苦しむ人たちは、音と匂い、視覚と味覚、色と触覚を混同する(必ずしもその論理的障害である訳ではない)。いくつかの科学的研究は、人間のオーラのビジョンがそこで生まれたと主張する。;私はそれらの研究には同意しない。なぜなら、私たちは皆、本当に幽体を持っていて、私たちが知覚を変化させたときにそれが見えると信じているからだ。

しかし、調査の中で最も私を魅了したのは、私たちが五感を通じて知覚しているものは絶対の真実ではないと発見したことだ。共感覚の人々は、私たちとは全く別の世界の概念を持っていて、これによって比較的通常の生活を送るのを妨げられることはない。私の女優の友人はイタリアのテレビ番組で毎日仕事をしており、結局のところそれに慣れてきたと言う。

問題をもう少し深く掘り下げ、私はブリティッシュ・ジャーナル誌の認知神経心理学の研究を発見した。ジェイミー・ウォード博士が率いるロンドンの大学の研究者のチームが、さらに先に進んだ。:共感覚を持つ人の中には、色を、例えば「愛」や「息子」のような感情たっぷりの言葉で知覚する人がいる。彼らの大多数は、誰かの名前を一定の色調で連想することになる。ウォード博士はこう述べる。G.W.とされる少女の場合、ある名前を聞くと、視野がその言葉から連想される色で完全に覆われていた、と。

ある美術雑誌で知ったのは、聖者の頭の周りにある光の輪は、昔の共感覚の画家によって作られ、その後、その光の輪の理由を誰も不思議に思わずに、他の人々によって繰り返し描かれた可能性があるということだ。
1965年のノーベル物理学賞受賞者が、かつてインタビューでこう言った。:「黒板に方程式を書く時、私は数字と文字を様々な色で書きます。」
ある記事が説明するところによると、ファインマンが所属していたのは、2という数字が黄色になり、車という言葉がいちごジャムのような味になり、ある音楽の調が円のイメージを誘発する、というグループだった。

ウォード博士はこう言う。
共感覚は決して病気ではない。:「精神疾患とは全く異なり、共感覚の人々には基本機能が損なわれておらず、他のほとんどの人に欠けている肯定的な症状がある」。
大きな問題になるのは学齢期の子供たちだ。物事を他人と異なるように感じる理由を彼らは理解できない。
私が非常に驚いたのは、いくつかの研究では、300人に一人が共感覚の持ち主だとされていることだ(ほとんどの研究では、その割合は2000人に一人だと言っているが)。

翌日、私は友人に電話をかけ、いつも私に関連づけている感覚は何かと尋ねた。
「優しい」というのが彼女の答えだった。
いいだろう。共感覚がいつも理論的だとは限らないのだ!

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