彼は私の魂を盗んだ - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
彼は私の魂を盗んだ
2011/3/11
パウロ・コエーリョ
2年程前、数百万部を売り上げる作家のパウロ・コエーリョにインタビューするため、フレンチ・ピレネーの中世の街ポーでライアンエアー機(訳注:航空会社名)を降りたとき、私が彼の次の本のヒロインになることなど予想だにしなかった。
私はイラクで1ヶ月間を過ごして戻って来たばかりだった。
それは、誘拐、処刑、自動車爆弾が日常の出来事になるより前のことで、イラクで記者が仕事をするのがまだ程々に安全だった最後の頃だった。私たちのグループはチグリス川左岸のサマーラにピクニックに行き、今は狙撃兵の駐屯地となっている有名な螺旋状の光塔に登ることまでできた。
2003年の世界的ベストセラーになるであろうコエーリョの最新の小説「11分間」はセクシャリティーに関する物語で、それに私の気持ちが向かなかったのは、たぶんこのイラクでの経験のためだろう。
コエーリョの広報係は彼がホテル住まいだと言った。戦争特派員の私は、多少不衛生な場所に滞在することに慣れていたため、無料のアメニティーがたくさんある贅沢な場所を楽しみにしていたことを認めざるを得ない。結局のところ、コエーリョはジョン・グリシャムに次ぐ世界2位の売れっ子作家なのだから。
その代わり、私が彼を見つけたのは、みすぼらしい街タルブにある、ポルノショップと整形外科器具を売る店に挟まれた旧式のペンションだった。根っからのブラジル人であるコエーリョは説明した。生活をシンプルにするためにホテルに入居したこと。良い暖房設備があり、毎年大晦日に過ごすルルドのカトリック聖堂が近いためにここを選んだのだということ。部屋はふたつあり、一部屋はクリスチーナという彼の4番目の妻と一緒に使い、もう一部屋は執筆のためだということ。
彼とのインタビューは楽しかった。黒のTシャツと黒のジーンズを身につけ、手入れの行き届いた白いあご髭を生やした56歳の彼はほとんど司祭のように見えた。だが、前腕には天使のタトゥーが掘られ、目にはいたずらっ子の輝きを宿している。
ファルージャで弾丸から身をかわしてから1週間も経たないのに、フランスのホテルで座り、お茶を飲みながらオーガズムや天使について話し合うのは奇妙に思えた。
批評家たちはコエーリョの本を占星術師のための哲学として冷笑する傾向にある。だが、一般人は彼の本が大好きだ。ビル・クリントン、ジャック・シラク、シモン・ペレス、ラッセル・クロウ、ジュリア・ロバーツもファンだ。パブリッシャーズ・ウィークリー誌は彼を「文学界のポップスター」と言う。最新の集計では、彼の本は156カ国で6000万部を売り上げており、特に非英語圏出身の人物としては驚くべき偉業だ。
私たちは話した。本の成功について。彼が書店をうろつき、自分の作品がいつか本棚を飾りますようにと切望していたノッティング・ヒルでの2年間について。そして、ポルトベーロ・ロードのバーで失った最初の小説について。
白い羽を見た時にだけ新しい本を書き始めるのだとも言い、それはどこからくるのかと私が尋ねると、彼は笑った。
魔法やオカルトの熱烈な信者にしては、私が現実世界と考えているものに対し、彼は驚くほど関心を持っていた。彼はイラク戦争に反対するコラムを書いており、私がその取材から戻ったばかりということに興味をかき立てられた。私自身は戦争に強く反対していた。イラクは現実の脅威であると信じておらず、私がほとんどの時間を過ごしたアフガニスタンとパキスタンの実際の対テロ戦争から注意をそらすものだと思っていたのだ。だが、その戦争は非常に早く終わり、サダムの秘密刑務所の生存者から聞いた話は非常にゾッとするようなものだったので、私は当時、おそらくそれは正しいことだったのだろうと考え始めていた。
コエーリョはそれは間違いだとして譲らなかった。
「私は、対テロ戦争が口実として使われているのではないかと思ってます。この先制空爆の方針すべては非常に危険だと思います。」と彼は言った。
「明日、こう言うのにそれを利用することもあり得ます。『見てみろ、ブラジル人はアマゾンを適切に保護していないぞ。呼吸が出来なくなるから、ブラジルを侵略してアマゾンを占領しよう。』」
ソビエト占領下の1980年代後半、私が初めてアフガニスタンに行ったときのことを彼は知りたがった。その頃私が良い人達だと知っていて一緒にバイクで旅して回ったうちの何人かは、その後タリバンを設立し、今ではアメリカの最重要指名手配者リストに載っている。
このような戦争の話は、彼がかつて述べた「大人のためのおとぎ話」としての彼の本の精神性とはかけ離れているように思え、私はインタビューする側とされる側の役割が逆転したように感じ始めた。
翌日、私は英国に戻り、ロンドンに向かうスタンステッド特急で、白い羽が顔に流されて来て面白く思った。
コエーリョはインタビューをめったに承諾しないため、その後で私が書いた彼の記事がスペースの都合で厳しくカットされて写真なしで出版されたとき、私は悔しかった。
数ヶ月後、私はアフガニスタンにいた。オサマ・ビン・ラディンを捜索する第10山岳師団のアメリカ人兵士と一緒に遠隔発射基地に滞在していたのだ。私は彼らの本棚にある読み込まれたペーパーバックの中に「アルケミスト」を見て面白いと思った。そこで私が山のパトロールで埃まみれになり疲れていたとき、コエーリョから最初のEメールを受け取った。
私はおどおどして返信し、省略された記事のことを詫びた。すると彼は続けて、アフガニスタンに関する私の著書「ヘラートの裁縫会(The Sewing Circles of Herat)」がとても良かったので、アメリカ最大の書店バーンズ & ノーブルのウェブサイトの彼の愛読書のトップ10リストに加えたと言った。
そうやってEメールの交換が始まった。引っ越したフランスの風車小屋で、彼は新しい本「私はいつも道の途中(me, usually, on the road)」を執筆していた。
現代の科学技術はすばらしいものだ。
アフガニスタンの選挙期間中に滞在していたカンダハールの近くの村から、あるいはカブールの新しいカクテルバーについて彼に知らせるために、私は彼にEメールした。彼は、これまで彼が行ったことのなかったイエメンのような場所から私にメッセージを送った。私は「メールを受け取りました」の受信音を聞き、受信箱にパウロ・コエーリョとあるのを見るのが楽しみになった。
1度か2度、彼は会うことを提案した。だが、私はいつでも旅行していて、自分の夫(ポルトガル人で、彼もパウロという名だ)と息子にも満足に会っていない。その上、彼の本に出てくる男性キャラクターが、世界のベストセラー作家のひとりであることの誘惑の力に言及することに気付いていた。
それから昨年の6月、ポルトガル滞在中に、私は浜辺から戻ってきてEメールを確認した。カブールの連合軍からのいつもの単調なアップデートとペニスを大きくする麻薬の宣伝の中に、膨大なファイルが添付されたコエーリョからのメールがあった。
それは彼が書き終えたばかりの本「ザーヒル」のポルトガル語の原稿だった。その題名は、1度触れたり見たりすると決して忘れられない何かについてのボルヘスの物語からとったものだ。それには以下のようなメッセージが添えられていた。:「女性キャラクターはあなたにインスピレーションをもらった。」
彼は書き添えていた。会おうと考えていたが、私がいつも遠くに居たため、アフガニスタンに関する私の著書とインターネットで調査したのだと。遅い返信を詫びた私の最近のEメールを彼は受け取っていたようだ。なぜなら、私はアフガニスタンでのNATOパトロールで遠くにいて、彼はちょうどそんなパトロールに行く登場人物について書いていたからだ。「だから、そこと他の大部分において、その女性キャラクターはあなただ。」と彼は書いていた。
私は、一部では驚き、一部では得意になり、一部では警戒した。彼は私を知らなかった。彼がどうやって私を元にキャラクターを作れたのだろう?私は自分がほとんど裸のように感じた。
大抵の人のように、私の人生にも印刷物の中で見たくないものがあったと思う。外国の特派員であることを、コエーリョが他の作家のように実際以上に魅力的だと考えているかもしれないということも私は心配していた。そう、私たちは大統領に会い、珍しい場所を見る。しかし、私たちは、飛行機を待つことで多くの時間を費やし、それは決して来ず、アフガニスタンズ・アリアナ(フライト中、機器を妨害する可能性のある携帯電話を乗客が使っているということに不満を言ったとき、私はこう言われた。:「ご心配なく。私どもは持っておりません。」)のような危うい航空会社で旅するのだ。
そのせいでいくらか不安に思いながらも、私は304ページのファイルをダウンロードして開いた。原稿を読むと、私の本で議論した懸念、タルブで彼に話したこと、私の個人的な世界への見方が関与しているのを認識した。
最初の段落はこう始まる。:「彼女の名前はエステル。彼女は戦争特派員で侵攻が差し迫っているイラクから戻ったばかり。30歳。既婚。こどもはなし。」
少なくとも、彼は私を実際より若くした。彼女が美人でセクシーだといいという考えが頭に浮かんだが、彼がインタビューで、読者が自分の考えを作り上げることが出来るように最小限の詳細しか書かないのを好むと言ったことを後に思い出した。
私は読み進める。語り手はエステルの夫で明らかにコエーリョ自身を元にしている。成功した作曲家から小説家になり、趣味はアーチェリーだ。だが、私がそうだったようにエステル自身は居なくなり、彼は非常にショックを受けた。ヒロインが自分に基づいているという考えを私が楽しみ始めていたところ、1ページ目で彼女が消えた。
実際、この本のほとんどは、頭をいっぱいにし狂わせる「わがザーヒル」と呼ぶ女性を、彼女の夫が執念で探索する話だ。私たちが彼女について知ることのほとんどが彼女の夫を通してであり、はっきり言って彼女は、戦争の取材に行くことを望み、その後、夫の財産で賄われた快適な暮らしを楽しむために戻ってきて、一方では、自分に十分な関心を持ってくれないと夫を批判するという利己的で嫌な女として書かれている。
私は、人々が何も持っていない地獄のような場所の任務から戻る度、パウロとの議論について気まずく思った。ここに戻ってきて些細に思える問題に関わるのが難しいと何度感じたことか。
コエーリョの言葉は鋭いと感じた。:
「あなたが遠くにいるときはいつも、あなたがそばに居てくれたらと思う。あなたか私のどちらかが旅から戻って来たら私たちが交わすだろう会話を想像する。すべてうまくいっているか確認するためにあなたに電話をかける。私は毎日あなたの声を聞く必要がある。しかし、一緒にいるときはどうなんだ?議論し、何でもないことで口論し、一方がもう一方を変えようと、互いの現実の見方を押しつけようとする。」
私は、エステルと彼女の夫の出会いについての彼の記述に少し不安を覚えた。「ある日、ジャーナリストが私にインタビューに来る。世界中に知られる作品を持っていても、自分自身については全く知られていないというのはどんな感じなのかを知りたがる…。彼女は美人で、知的で、もの静かだ。私たちはパーティーで再会し、そこでは仕事のプレッシャーがなく、私はその夜に彼女をベッドに誘い込むことが出来る。私は恋をするが、彼女はまったく乗り気でない。電話するといつも忙しいという。彼女が私を拒めば拒むほど、私はますます興味をそそられるようになる。」
だが、本が進むにつれ、私はあちこちに自分の人生の一部を認めた。靴を変えるより頻繁に大陸から大陸を移動するエステル。テロリスト界隈での広大なネットワークとそれに伴う尾行の恐怖。
彼女はカザフスタンに入れこむようになる。私の情熱はアフガニスタンだが。彼は、私たちが失った価値観をそのような国の人々が持っているという彼女の感情を、私と同様に強調して話した。その価値観とは、「すべての人間関係で最も重要なことは会話だ。だが、人々はもはや会話せず、座って話したり耳を傾けたりしない。彼らは劇場や映画に行き、テレビを見て、ラジオを聞き、読書をするが、ほとんど話をしない。世界を変えたいのなら、戦士が焚き火を囲んで物語を話していた頃の時代に戻らなければならない。」
エステルが戦争に中毒するようになった記述は少しなじみのあるものだった。:戦争中毒の同僚について、また、同じようになる怖れについて、私は本に書いていた。「それはドラッグのようなものなの。」と彼女は言う。「戦争地帯にいる限りは私の人生には意味がある。入浴せずに数日を過ごし、兵士が食べるものを何でも食べ、毎晩3時間眠って発砲音で目覚める。いつ私たちが座っている場所に誰かが手榴弾を投げ込んでくるとも知れず、そのことが私を生きさせてくれるの。わかるかしら?私が言っているのは、一刻一刻を愛する本当の人生のこと。悲しみや疑いのための場所はひとつもなくて人生への偉大な愛だけが存在する。」
戦争が人々の中に最善のものと最悪のものを運んでくるということを、コエーリョは極めて深く洞察する。私が彼に、バスラの陥落に伴う略奪行為を見た時の衝撃を話した時のことを覚えている。設備を押収するため、地元の人が患者を病院のベッドから投げていたのだ。彼はこれを次のように書いた。「これまでに何も起きたことがない、市民がいつも礼儀正しい小さな地方都市の出身者が、博物館を侵略し、何世紀も前の芸術作品を破壊し、自分に必要のない物を盗む。」
コエーリョへのインタビューの間、私のしている事に彼が驚きを見せると、私は言った。戦争特派員は現実逃避の形態かもしれないとしょっちゅう考えるのだと。戦争を取材したいのだとエステルが初めて夫に言うと、彼は彼女が狂っていると言い、彼女はすでに女性が望み得るすべてを持っていると言う。
彼女は答える。:「すべてを持っているけれど私は幸せじゃない。そして、それは私ひとりだけではないの。幸せそうな人もいるけれど、その人たちはただ単にあまり考えないだけ。他の人たちは計画を立てる。:夫、家、こどもをふたり、田舎の家を持つ。それをして忙しくしている限り、彼女たちは闘牛士を捜す雄牛のようだわ。つまり、本能的に反応し、標的が何処かわからずに失敗し続けるということ。車を手に入れ、ときにはフェラーリを手に入れることすらあって、それが人生の意味だと考え決して疑問を挟んだりしない。でも、その目は悲しみをたたえていて、それは彼女たちが知らずに魂に運びこんだ悲しみなの…。」
彼女は戦争の取材をしたいと言い続ける。「戦時下では、人はぎりぎりのところで生きていると思うから。つまり、彼らは翌日死ぬかもしれない。そのように生きている人は皆、違うふうに行動するにちがいないわ。」
私はひとつだけ言わずにいたかもしれない。私には息子がいて、起こっていることを見、人々の物語に耳を傾けることに飢えていながらも、そうして殺されるつもりはないのだと。
私はエステルとは違い、死に際に人々が愛について考えるということを忘れないために、亡くなった兵士の血痕が付いたシャツのはぎれを持ち歩いたりはしない。通訳と一緒に逃亡して、絨毯の織り方を学ぶためにフランス語のレッスンをすることも考えたことがない。しかし、彼女が妊娠中にも関わらずカブールでのNATOパトロールに行く任務を受け入れたとき、かなり身近に思えた。
私は読んだ内容に驚き、自分の母と夫に話した。夫は、私がおだてられていると感じている気持ちをわかってくれるどころか、なぜ他の男が自分の妻について本を書くべきだったのかと非常に疑った。数人の友人に話すと、彼らは私を狂っているかのように見た。私は、他の誰にも言わないほうが良いと決心した。
その後、コエーリョからEメールがあり、受賞のためにロンドンに来ているので私を夕食に招待したいと伝えて来た。
私はフロントライン・クラブを提案した。そこはピッタリの場所であるように思えた。ブラジル人のバーのマネージャーは、彼が誰かであるかを知るとほとんど卒倒しかかった。私について書かれた本の作者であるだけでなく、その分身が私の分身と結婚した男と会っていることを奇妙に感じた。
私たちはEメールの交換に戻り、2週間前「ザーヒル」がブラジルで発売されるまで、私はそれについてもう少し考えた。国内最大のニュース雑誌の特集記事で、記者達が突然、物語のアイディアとなった人物を探し出そうとし始めた。
誰がコエーリョの「ミューズ」なのか?
称賛を獲得しようとした他の女性たちが歩み出ると、間もなく正真正銘の「ミューズの戦争」が起きた。
テレビ司会者でチリ出身の元ミス・ユニバースのセシリア・ボロッコ。イタリア人の女優、バレリア・ゴリーノ。著者と肉体関係を持ったことがあると主張する無名のロシア人ファッション・デザイナー。
彼女たちの中にはいないとコエーリョは声明を出した。彼のミューズはサンデー・タイムズ誌のイギリス人戦争特派員で、彼女の「勇敢さと感受性」に感銘を受けたのだと。
ポルトガルの日刊紙コレイオ・ダ・マンハの記者が電話をかけて来て、私がエステルだとわかったと言ったとき、私は観光客のふりをしてジンバブエにいた(その国のことを報道するための唯一の方法だった)。ムガベのスパイが聞いている場合に備えて、私は電話で記者ではないというふりをし続けるというような、最高におかしなインタビューがそこで始まった。
私のおかしな振る舞いにも関わらず、コレイオ・ダ・マンハは先週の日曜日、そのトップページに、「コエーリョのミューズ」として、私を「暴露」した。スペイン、ポルトガル、ブラジル、南アフリカ、英国まで、「コエーリョのミューズ」になってどんな気持ちかと質問する新聞社からの電話に、先週は対応し通しだった。
友人たちは私をからかい始め、ファッションブランドを立ち上げる計画を立てているかと尋ねた。一旦それに慣れると、私はミューズであることを完全に楽しむことにしたが、ミューズがなにをするのかはあまりわからなかった。私が知っていたミューズは、ピカソのドラと、デザイナーのカール・ラガーフェルドが彼の理想の女性と評したアマンダ・ハーレチ婦人だけだったが、彼女たちの場合、小さな戦争への執念のためではなく、容姿においてのミューズだった。
私はコエーリョに、ミューズはどうふるまうべきかと尋ねた。彼は、これまでにミューズを持ったことはないと付け加えながらも、「ミューズは妖精のような扱いを受けなければならない。」と答えた。私は考えた。おそらくミューズであるとは、ファンシーなチョコレートの大箱を脇にし、カウチに横たわって物思いにふけることを意味するのだろう。私は普段穿いている破れたジーンズをやめ、ふわっとしたドレスを愛用して口紅までつけた。だが、フルタイムで働き5歳児を持つ身にとってミューズでいることは簡単ではない。先週、スクービー・ドゥーとバットマンが対戦するDVDを買ってやらなかったがために息子がウールワース(訳注:Woolworths。小売店。)で癇癪を起こしたとき、私は自分がミューズであるとはまったく思えなかった。
2005年6月までは「ザーヒル」はここで出版されない。その時が来て、カザフを含む83カ国、42の言語、驚異的な800万部において、私の登場人物について読むことが出来るようになる。
一方、私が学んだことは、有名な作家のインタビューに行くとは戦争を取材するより危険な場合があるということだ。彼らはあなたを撃たないかもしれないが、あなたの魂を盗むことが出来るのだから。
ザーヒル:愛と切望と執念に関するパウロ・コエーリョの小説。トーソンズ/ハーパーコリンズ出版