白い部屋

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喜びの力 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

喜びの力
2012/11/1
パウロ・コエーリョ

ハリール・ジブランはこう言う。
20世紀の間、人間はイエスの弱さを崇拝し、彼の力を完全には理解していない、と。
キリストは臆病者として生きたのではなく、不満も苦しみもなく死んだ。
彼は革命家として生き、反逆者として磔にされたのだ。

彼は翼(wings)を広げた鳥ではなかったが、派閥(wings)を分けた暴力的な嵐だった。
彼は迫害の犠牲者ではなく、彼らの手にかかって苦しむことなく、彼ら全員の前にて彼は自由であった。

エスは、私たちの家々を破壊するためではなくて、彼の石で修道院を建てるために地球に来たのだ。つまり、彼が来たのは、私たちに新しい魂を吹き込み、全ての心に寺院、全ての祭壇に魂、全ての人に司祭を建てるためだった。

彼の人生を注意深く見てみると、受難が避けられないとわかっていながらも、行為のひとつひとつで、私たちに喜びの感覚を与えようとしたことがわかる。最初の奇跡をどれにするか決めるまでに、長く真剣に考えたに違いない。;麻痺がある男性の治療、死者の復活、悪魔の排除、「高貴な行為」など、考えたに違いないのだ。結局は、それが彼が神の息子だと言うことを世界に示す最初となっただろう。

そして、彼の最初の奇跡は、婚礼パーティーを盛り上げるために水をワインに変えることだったと書かれている。この行為の知恵は、私たちにインスピレーションを与え、私たちの魂に常に存在しているはずだ。つまり、スピリチュアルな探求とは、思いやり、熱意、そして喜びなのだ。

チベットの僧チョギャム・トゥルンパが言うには、「世界が良いものだと発見するのに、神秘体験をする必要はない。私たちは、身の回りに単純なものがあることにただ気づけば良いだけなのだ。窓を滴り落ちる雨粒を見、朝起きて太陽がまだ輝いていることを見つけ、誰かが笑うのを聴きなさい。」

Michelle Artimezによる翻訳

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