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ヴィトリオールまたは苦悩- パウロ・コエーリョのE-CARDSより

ヴィトリオールまたは苦悩
2008/12/10
パウロ・コエーリョ

精神病院を舞台にした私の著書「ベロニカは死ぬことにした」で、院長は、長年に渡って生物を汚染する検知不可能な毒についての理論を展開する。その毒がヴィトリオールだ。

それは、フロイト博士が認知した性的液体「リビドー」のようだが、これまでに分離できた研究室はない。ヴィトリオールは、怖れを持つ人間の生命体から抽出される。影響を受けた人のほとんどは、その味を甘いでも塩辛いでもなく、苦いとする。それが理由で、憂鬱は本質的に「Bitterness(苦しみ)」という言葉と関連しているのだ。

私達のほとんどが結核菌を持っているのと同様に、程度の差こそあれ、全ての存在はその生命体の中に苦みを持っている。しかし、それらふたつの病気は、患者が衰弱しているときにだけ発病する。苦みの場合には、いわゆる「現実」を怖れると病気の素地が現れる。

特定の人々は、外的脅威、知らない人、新たな場所、異なる経験などの外側に対する守りを過度に増大して、内面は保護しないままだ。苦みが、不可逆的な害を引き起こし始めるのはそのときだ。

苦み(または、私の著書の医師が好んだヴィトリオール)の最大の攻撃目標は欲望だ。この悪に攻撃された人々は、全てに対する欲望を失い、数年で自分達の世界から外に出られなくなる。なぜなら、彼らは、なりたかったものになるための現実に対する高い壁を建設して、膨大なエネルギーの蓄えを使い果たしたからだ。

彼らが外の攻撃を避けているとき、内なる成長も制限する。仕事に行き、テレビを見て、渋滞に不平をこぼし、こどもを持つが、その全ては自動的に起こり、結局、彼らはそのように振る舞う理由を本当に理解することはない。全ては制御されているのだ。

苦み中毒の大きな問題は、その情熱(嫌悪、愛、失望、情熱と好奇心)ももはや現れないという事実にある。しばらくすると、苦み中毒者はそれ以上の願望をなくす。彼らはもはや、生きる、または死ぬ意志をすらなくす。それが問題だ。

そのため、苦み中毒者にとって英雄や狂人はいつも魅力的だ。彼らは生きる事や死ぬ事を怖れないからだ。英雄と狂人はどちらも、危険に直面しても無頓着で、皆がそうするなと言っているにも関わらず前進する。
狂人は自殺し、英雄は大義のために殉教するが、どちらにせよ死ぬ。そして、苦み中毒者は、ふたつのタイプの不条理と栄光について話すのに多くの昼夜を費やす。
それは、苦み中毒者が、自分の防御壁の頂点を越えて、少しだけ外側を見る強さを持つ唯一の瞬間だ。そして、すぐに彼の手足は疲れて日常の生活に戻るのだ。

慢性苦み中毒者は、週に1度だけ自分の病気に気付く。それは日曜日の午後だ。そのときは、症状を緩和する仕事とルーチンがないために、何かが非常に間違っていると気付くのだ。

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