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60歳になった日 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

60歳になった日
2007/11/7
パウロ・コエーリョ

最近のインタビューで、60歳になるのは35歳や47歳になるのと同じだと私は言った。:バースデーケーキ、キャンドルを吹き消すなど。
しかし、まったく同じわけでもなく、私がその日をどう記念することにしたかを読者と共有したい。

私は通常、私の守護聖人である聖ヨセフの祝日である3月19日に、自分の誕生日を祝う。
今年2月のある日、私は自分のブログを読み、読者の魂を見て、衝動に駆られた:私の誕生日に10人を招待したらどうだろう?
私はメッセージを書き、私に連絡してきた先着10名を歓迎すると言った。
翌日には、ブラジル、日本、英国、ベネズエラカタールなど、地球の最も多様な場所から最初の10通の返信が届いた。
パーティーサンチアゴの道にある「プエンテ・ラ・レイナ」で行う。つまり、空港や通常の移動手段から遠く離れている。
一方で、読者がメッセージを完全に理解したかどうか確信が持てなかった。
つまり、私は彼らをパーティーに招待したが、彼らの旅行代金は払っていないのである。

私は状況を説明したEメールを送った。
10人全員が、完全に正しく理解していると言った。大きな責任を感じたが、私は約束を守り、彼らが皆良い時間を過ごし、とても特別な午後を楽しんだと考える。
少なくとも私がそうだったことはわかっているのだ!
彼らは皆、今でもお互いに連絡し合っている。

時間が経ち、すぐに私の誕生日の前夜だ。
私がいつもすることをするのが私の計画で、その通りのことが起きた。
私が生まれた24日の00時05分ぴったりにいられるよう、8月23日の23時15分に私はルルドに行って、
その瞬間まで、聖母の洞窟で人生の感謝を述べ、これからもご加護が頂けますようにとお願いした。
それはとても力強い体験だったが、セント・マーチン(私が夏を過ごす風車小屋があるのだ)に戻る間、私はとても寂しくなった。
私は自分の妻にそう言った。「でも、そうすることを選んだのはあなたじゃないの!」と彼女は答えた。
そうだ。実際に私が決めたのだ。だが今、くよくよし始めた。
この大きな惑星で、私たちはどちらもひとりぼっちなのだ。

携帯の電源を入れた。それはすぐに鳴り始めた。
ーモニカだ。彼女は私のエージェントで友人だ。帰宅したとき、私を待っていた別のメッセージがあった。
私は幸せにベッドに入り、翌日には、前夜の意気消沈が全く無意味であったということがわかった。
花やプレゼントが家に到着し始めた。インターネットコミュニティーの人々が、私の写真や文章を使った珍しいものをいくつか作ってくれていた。ほとんどの場合、これは私が会ったことのない人によって準備されていた。
マルシア・ナシメントを別にすれば。彼女は、魔法の仕事をいくつかしてくれ、私がファンクラブを持った作家なのだと言える楽しみを与えてくれた。そして彼女は世界的社長なのだ!

その瞬間、私はふたつの非常に重要なことを理解した。
ひとつは、どんなに有名でも、あなたはいつでも孤独を感じる。
もうひとつは、どんなに無名でも、あなたはいつでも友人に囲まれている。例え彼らの顔を見たことがなかったとしても。
無名のときでも、私が必要とするときにはいつでも差し出される手があった。

それで、私はハリール・ジブランに(彼独特の見事な語り口でもって)この感情を説明してもらおう。(コラムのサイズのために私が調整したものだ):

「あなたの友人は、あなたが愛をもって種をまき、感謝をもって収穫する畑だ。彼はあなたの家であり、あなたの食卓だ。」

「彼が無言の時でさえ、ふたつの心は話し続ける。」

「彼から去らねばならないときは苦しむな。
この不在により、あなたは友情の重要性をいっそう良く理解するのだ。
ちょうど、登山者が平地から遠く離れている時に、自分の周りの風景をより良く見るように。」

「善きものすべてをあなたの友人と共有できますように。」

「楽しい時だけでなく、悲しい時も彼に知らせて分かち合いなさい。」

「友人は時間をつぶすのを手伝うためにあなたのそばにいるのではなく、
むしろ人生を精一杯楽しむのを手伝うためにそばにいるのだと知っておきなさい。」

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