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死ぬ前の5つの後悔 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

死ぬ前の5つの後悔
2018/6/14
パウロ・コエーリョ

(ここにいる友人のひとりが「Insult the dead」にコメントしながら、私にリンクを送ってきた。私はそれを確認して、ボニー・ウェアによる興味深い文章に出くわした。以下は要約である。:)
私は長いこと緩和ケアで働きました。私の患者は死ぬ時に自宅に戻りました。彼らの人生の最後の3〜12週間、私は彼らと一緒にいました。

彼らの後悔や違うふうにできただろうことについて質問すると、共通のテーマが繰り返し表面化しました。最も共通していた5つをここに挙げます。

1、他人が私に期待したものではなく、自分自身に誠実な人生を生きる勇気を持っていれば良かった。

人生が終わりかけていると知ってそれをはっきりと振り返るとき、どれだけ多くの夢が果たされないままだったかを容易に見ることが出来ます。大抵の人は、自分が行ったか、行わなかった選択によるものだということを知ってから死ななくてはなりませんでした。
健康を失った瞬間に手遅れになります。健康は自由をもたらしてくれますが、それを失うまでにその自由に気がつく人はほんの少しです。

2、あんなに一生懸命働かなければ良かった。

これは私が看護した男性患者すべてから聞かれました。私が看護したすべての男性は、仕事存在のトレッドミル(踏み車:単調な作業)で人生の大半を過ごしたことに深く後悔していました。

3、感情を表現する勇気を持てば良かった。

他人との平和を維持するために、多くの人は感情を抑圧していました。結果として、彼らは平凡な存在に甘んじ、本当はなり得たものになれませんでした。発症した病気の多くは、結果として彼らが運んだ苦々しさと鬱憤に関連していました。

4、友人との連絡を保っていれば良かった。

多くの場合、死の間近まで古い友人の完璧な恩恵に本当に気がつくことはなく、いつでも友人を突き止めることが出来るわけではありませんでした。
多くが自分自身の人生に捕われ、何年も前から黄金の友情を素通りして来たのです。相応しい時間と労力を友人関係に注がなかったことについての多くの深い後悔がありました。死にかけている時、誰もが友人を恋しがります。

5、自分をもっと幸せにしてあげれば良かった。

これは驚くほど一般的なものです。多くの人は、幸せが選択だということに最期まで気がつきませんでした。彼らは古いパターンや習慣で動けないままでした。慣れという「快適さ」は、物質的な生活のみならず、心の中にも溢れ出ていました。変化への怖れのために、彼らは他人や自分に対し、満足していると偽っていました。深く入って行くと、彼らは適度に笑い、人生にもう一度軽さを持つことを切望していたのです。

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