すべてが受け入れられたなら、すべては許される - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
すべてが受け入れられたなら、すべては許される
2013/9/9
パウロ・コエーリョ
性行為において寛容すぎるとき、私たちの主要な関心事はパートナーの喜びであり、自分自身の喜びは消え失せ、壊れることさえあるかもしれない。
同じ強さで与え受け入れることができれば、私たちの体は弓の弦のように張りつめるが、心は放たれようとする矢のように弛緩する。脳はもはや役割を持たない。そのとき、本能が唯一のガイドなのだ。
体と魂が出会い、大抵の人が性欲を刺激すると感じると思う部分だけではなく、毛髪の1本1本、肌の隅々をも聖なるエネルギーが満たし、それはある異なる色の光を発する。2本の川が出会い、もっと美しく、もっと力強い川になる。
あらゆるスピリチュアルなものは目に見える形でそれを顕現し、目に見えるものすべてはスピリチュアルなエネルギーに変換される。
すべてが受け入れられれば、すべては許される。
時に、愛はそっと話すことに疲れていく。
だから、その全力の輝きで愛のベールをはがそう。太陽のように燃え、その風で森全体を破壊しながら。
恋人のひとりが完全に降参すれば、もうひとりも同じようにする。なぜなら、恥ずかしさは好奇心になり、好奇心は自分自身について知らないあらゆることを探検するよう私たちを導くからだ。
「THE MANUSCRIPT FOUND IN ACCRA (アクラで見つかった写本)」より