20秒間の読み物:失われ見つけられる - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
20秒間の読み物:失われ見つけられる
2014/1/3
パウロ・コエーリョ
各々の芸術作品は易々とこう言える。:
「気がついてもらいたいから、ここから出て行こう。
そうすれば、私の努力を兄弟姉妹達と共有出来るでしょう。」
花瓶も絵も彫刻も、男と女も同様だ。
部族や船、木々や星々も。
一旦これを理解すれば、一日の終わりに隣人と隣り合って座り、彼の言うべきことを尊重して聞き、彼が聞く必要のあることを言うことができる。
私たちはどちらも、自分の考えを相手に押し付けようとしないだろう。
部族を隔てる山を越えて、身体を隔てる距離を超えて、
そこに魂の共同体が存在する。
私たちはその一部である。不毛な言葉で溢れる小径はなく、遠く離れたものを繋ぐ広い大通りだけがある。それは時に、経年のダメージのために修復が必要だ。
戦争があったために昨日は敵として見られていた人が、戦争が終わり人生が続くので、今は再び友人として見られているだろう。
出て行った息子は結局、戻って来るだろう。途中の経験で彼は豊かになっているだろう。
彼の父は両腕を広げて彼を受け入れ、召使いにこう言うだろう。:「彼のために最高のローブを持って来て、指に指輪をはめ、脚にはサンダルを履かせなさい。;なぜなら、私の息子は死んだが再び生きている。彼は失われ見つけられたのだ。」
このように、戻ってきた愛する人は、不信のまなざしで見られることは決してない。その人の一歩一歩に誠意が伴っているからだ。
「THE MANUSCRIPT FOUND IN ACCRA(アクラで見つかった写本)」より