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私の宗教教育

拙訳

私の宗教教育 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
2016/4/22
パウロ・コエーリョ

私の家族は非常に厳格で、本当の訓練ができるように父は私をイエズス会の学校に入れた。

厳格さの連鎖は、若い私には非常に重苦しく、慈悲でなく制約と困難だけを示すこの宗教を、私は非常に早く疑い始めた。

ミサへの参加を余儀なくされたこと、祭司の口から出る絶え間ない地獄の脅威を思い出す。すべては罪で、すべては禁じられていて、喜びは排除されていた。

私を救ったのは反抗心だったと思う。:私はカトリック主義を疑い、何か新しいことをやってみなければならないと感じた。
後に十代の頃、私はヒッピーになった。
この間、私はたくさん旅をし、様々な背景の人々に会い、霊性に近づくための様々な道を学んだ。
私は別の道を見始めて、私自身の宗教はイエズス会の物の見方に限定されていないと分かり始めた。

サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼をした後、私はカトリック信仰に戻った。最高の宗教だからではなく、ただそれが私の血に流れているからだ。

教会に神を入れることはできないと思う。神はどこにでもいる。すべての宗教は利点と欠点を持っている。

さらに言えば、愛がキリスト教と調和しないとは思わない。イエスのメッセージは、何にも増して人類愛のメッセージだった。

ウィリアム・ブレークが言うように、神は一握りの砂の中にも一輪の花の中にもいる。そのエネルギーはどこにでもあるのだ。

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