白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

今日... - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

今日...
2017/1/1
パウロ・コエーリョ

私はこの日を、人生最初の日として考えよう。

もし曇りだったら、雲がどっちの方向に行くのかを見たい。私は常に考える。私は時間がないか、十分な注意を払わないと。

私の頭上に空がある。それについて人間は、数千年以上もの間、一連の適当な説明を組み立ててきた。
星について学んだことを、私は全部忘れるだろう。そして星たちは、天使やこども、またはそのとき信じている何にでも、もう一度生まれ変わるだろう。

時間と人生はすべてに対する理論的な説明をたくさん与えてくれるが、私の魂は神秘によって養われる。ここにいる多くの人がそれを異端と考えても、私には神秘が必要だ。私には、雷のゴロゴロという音の中に怒れる神の声を見る必要がある。
私は自分の人生をもう一度空想で満たしたい。怒れる神は、賢い人達に説明される現象よりもはるかに奇妙ではるかに恐ろしく、はるかに興味深いからだ。

初めて、私は罪の意識なく微笑む。楽しみは罪ではないからだ。
初めて、私を苦しめるものを避ける。苦しみは美徳ではないからだ。

私は、こんな風に人生に不平を言わないだろう。:「すべては常に同じで私はそれを何も変えることが出来ない。」
なぜなら、私はこの日がまるで最初の日であるかのように生き、それが続く間、そこにあったことを知りもしなかったものを私は発見するだろうから。」

私は、過去に数えきれない程同じ場所を歩き、同じ人々に「おはよう」と言ったが、今日の「おはよう」は違っているだろう。それはただの礼儀作法ではなく、祈りの形態であり、それは、たとえ悲劇が私たちを圧倒しようとしているときでさえ、私が話しかける人全員が生きていることの重要性を理解していることを願うものになるだろう。

吟遊詩人が通りで歌っている歌詞に私は注意を傾ける。魂が怖れで重くなっているために他の人々は耳を傾けていないけれども。音楽はこう言う。:「愛は支配する。だが、その王座を持っている場所を誰も知らない。;その秘密の場所を知るために、まず愛に服従しなければならない。」

そして私は、自分の魂へと導く聖域のドアを開ける勇気を持つだろう。
自分自身の体と魂に、これまでで初めて接触したかのように自分を見るかもしれない。
あるがままの自分を受け入れることが出来るかもしれない。:誰か他の人のように歩き、感じ、話す人物だ。だが、その人は、欠点があるにも関わらず、依然として勇敢だ。

私は、あたかも見知らぬ人に話しているような、自分の最も単純な行為に驚くかも知れない。;バグダッドから風が吹く時に、砂が私の顔に触れているのを感じているかのような、私の最もありふれた感情によって。;妻が隣りで眠っていて、彼女の夢を想像してみるときの最も柔らかい瞬間によって。

そして、もしベッドでひとりなら、私は窓に近寄り、空を見上げ、宇宙はそこにあって私の友人でいてくれるので、孤独は偽りだと確信するだろう。

そのとき、私は1日の毎時間を驚きの連続のように生きてきただろう。父でも、母でも、学校でもなく、これまでに経験したすべてによって作られたこの「私」を。それは、すべてを新しく発見するために私が突然忘れたこの「私」を。

そして、たとえ今日が地上での私の最後の日になるとしても、私はそれを精一杯楽しむ。なぜなら、すべてを初めてしているかのように、こどものような無垢さで私はそれを生きるからだ。

「MANUSCRIPT FOUND IN ACCRA (アクラで見つかった写本)」より

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