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クラダ・リングの歴史 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

クラダ・リングの歴史
2011/4/8
パウロ・コエーリョ

クラダ・リングは、ゴールウェー湾の「海岸」または「クラダ」の近くにあった漁村に起源があると考えられている。

城壁の外にあり、コリブ川によってさらに隔てられた「クラダ」は、鋤と鍬の使用が禁じられた排他的な共同体または漁師の集団だった。期間限定で選ばれた「王」によって支配され、その王を識別する唯一の印は、自らの漁船に白い帆を使う権利だった。

指輪は、王冠を載せたハートを持っているふたつの手を表している。このモチーフは「愛と友情に統治させよ」という句に説明されている。これは、400年以上に渡り小さな共同体で使われた結婚指輪のための理想的な詩だ。

この特有なデザインは、ゴールウェイの民族のひとつであるジョイス家と関係している。マーガレット・ジョイスは、ドミンゴ・デ・ロナという裕福なスペイン人と結婚する。彼は亡くなったとき彼女に財産を残し、彼女は後にそれをコノート地方に橋を架けるのに使った。

後に1596年のゴールウェイ市長、オリバー・オブ・フレンチと結婚したマーガレットだったが、その膝に鷲が金の指輪を落としたために、善意の仕事と慈善行為に対する天からの報酬を受けたとみなされた。この奇抜な伝説は、リチャード・ジョイスまたはジョイスの物語という、より事実に即した対戦相手が存在する。

リチャードは西インド諸島に向かい、アルジェリア人の海賊船に捕えられ、彼を訓練したムーア人の金細工師に奴隷として売られた。

1689年、英国のウィリアム3世の要求で奴隷制から解放され、留まるに十分な誘因があったにも関わらず、ジョイスはゴールウェイに戻って金細工師として事業を興した。彼の作品は、「希望」を意味する錨と、「R.I.」(訳注:Richard Joyce/Ioyes)のイニシャルが刻印されており、今も存在する。

クラダ・リングのモチーフは彼に起因すると考えられる。

クラダ・リングは前世紀の半ば頃にクラダの外で有名になった。特に、これがビクトリア女王と後にアレクサンドラ女王、エドワード7世王が身につけたアイルランド製の唯一の指輪だったためだ。

王家の特許が与えられたゴールウェイのディロンによって、それらの指輪は製造・供給された。この伝統は今日まで続いている。

この指輪を身につける方法の伝統はとても特別なものだ。指輪の所有者が、王冠を指の爪に向けて付けていたら、その人は恋人がいるか結婚していると言われる。ハートを指の爪に向けて付けていたら、その人は決まった相手がいないと言われる。

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