ヤンテの掟 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
ヤンテの掟
2019/1/19
パウロ・コエーリョ
ーマッテ=ルイーセ王女をどう思いますか。
ノルウェイ人の記者がジュネーブ湖の土手で私にインタビューをしていた。ルールとして、私は自分の仕事に関係のない質問に答えるのを拒否する事になっていたのだが、この場合には彼の好奇心に動かされた:彼女が30回目の誕生日に着ていたドレスに、王女は彼女の人生で重要な人々の名前を刺繍して欲しい、と頼んでいた。ーそして私の名前がその中にあったのだ(とても良いアイデアだと私の妻は思ったので、彼女が50歳になった時に同様の事をすると決めた。ドレスの一隅に”ノルウェイの王女からひらめきを得て”という表記を縫いつけて)。
ー彼女は感性が鋭く、繊細で、知的な人だと思います。ー 私は答えた。ー彼女が、私自身のように作家である夫を私に紹介したとき、オスロで彼女に会う機会を持った事があるのだ。
私は少しためらったが、言い添える必要があると感じた:
ーそして正直な話、私には解りかねることがあります:なぜ彼が王女と結婚した後で、ノルウェイのマスコミは彼女の夫の文学の仕事の批判を始めたのでしょう。それ以前、彼への批評はどれも肯定的だったのに。
厳密にはそれは質問というよりは挑発だった。私は答えを既に想像していたからだ:
彼の批評が変化したのは、全ての人間の感情で最も苦いものである妬みを人々が感じたからだ。
しかしながら記者は、それよりももっと洗練されていた:
ー彼はヤンテの掟を破ったからです。
もちろん私はこれについて聞いたことがなかったので、彼はそれが何か説明した。私は自らの遍歴を続け、スカンジナビアのどの国においてもこの掟を知らない誰かを見つけるのは難しい、という事を発見した。掟は文明の始まりから存在するけれども、それが公式に言及されているのは、1933年のアクセル・サンデモーセによる小説「限界を超える逃亡者」の中でのみだった。
残念なことに、ヤンテの掟はスカンジナビア人に限られたものではない。:
それは世界中の全ての国に適用されたルールなのだ。ブラジル人が ”それはここでだけ起こることだ” と言ったり、フランス人が ”あいにくそれは私たちの国の状況だ” と主張する事実にも関わらず。さて、読者は困惑させられているに違いない。なぜなら、彼または彼女はもう既にコラムの半分にきているのに、ヤンテの掟が何の事なのか依然として知らないからだ。だから私はここで、自分の言葉で簡単な説明を試みよう:
”あなたには何の価値もない。あなたの考える事には誰も興味を持たない、凡庸で匿名であることがあなたの最善の方策だ。このように行動するならば、あなたは人生で大きな問題を持つ事はないだろう”。
ヤンテの掟は、マッテ=ルイーセ王女の夫のアリ・べーンのような人々にとってしばしばたくさんの問題を引き起こす嫉妬と妬みの感情に焦点を当てている。
これはその否定的な面のひとつだが、さらにもっと危険なことがある。
そしてこの掟は、他人のいうことを怖れることがなく、望む悪を実行するに至る人々によって、出来る限りのあらゆる方法で操作されている世界に対し責任を負っている。私たちは、いまだに多くの生命を犠牲にしているイラクでの無用な戦争を目撃したばかりである。;
私たちは、世界の金持ちと貧しい国の間の深淵、あらゆる面での社会的な不正、制御不可能な暴力、不公平で卑劣な攻撃のために夢をあきらめる事を余儀なくされている人々を見る。
第二次世界大戦が始まる前、ヒトラーは彼の意図に関するいくつかのサインを発した。彼が先へ進むのを裏づけたことは、ヤンテの掟ゆえに誰も彼にあえて反抗しない、という認識だった。
凡庸である事は快適かも知れない。悲劇がドアをノックし、人々がいぶかりだす日までは: ”しかし、これが起ころうとしているのを誰もが知る事が出来たのなら、なぜ誰もなにも言わなかったのだろう”:
簡単だ: 他の人たちも何も言わなかったので、誰もなにも言わなかったのだ。
そういうわけで事の悪化を止めるために、これがおそらくヤンテの逆の掟を書く適切なタイミングだろう。;
"あなたは自分で考えるより遥かに価値がある。 たとえあなたがそう思わないとしても、この地球上でのあなたの仕事と存在は大切だ。もちろんこのように考えると、あなたはヤンテの掟を破るゆえに多くの問題をもつだろうーしかしそれらに怯える事なく、怖れずに生き続けなさい、そうすれば最後にあなたは勝利するだろう"。
原文:http://paulocoelhoblog.com/2019/01/19/the-law-of-jante/