白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

スーフィー流のダンスと祈り - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

スーフィー流のダンスと祈り
2012/12/5
パウロ・コエーリョ

このコラムのいくつかで、私はすでにスーフィーの物語を語った。その中には、常に賢人よりも上を行くことができる愚か者のナスレッディンが主人公のものがあり、読者は何度も彼の行動に驚かされる。今日、私はこれらの物語を脇におき、主題そのものについて少し書いてみたい。

百科事典的な定義では、スーフィズムイスラム教の秘伝的な伝統で、そのためイスラム教の世界で常に悪く受けとられてきたと述べている。スーフィズムは10世紀頃に起こり、その導く原則は、信者は非伝統的な一連の宗教的実践を通して、神と直接に繋がることができると言う。その実践の最も一般的なものはダンスであり、その哲学の伝達は小さな物語を通して行われる。

アラブの国の小さなアパートで、明かりを消しキャンドルを灯して人々がパーカッションを叩く儀式に参加する招待を私は受けた。それによって、この霊的な伝統がどうやって今日までその純粋さを保つことができたのかを見ることができた。

集会は午後9時だった。魂の深遠から出て来たような声色を使う男が、約30分間、単調に歌った。彼が歌うのをやめたとき、パーカッションは、アフロブラジルの宗教の祭事で聞き慣れたものとよく似たリズムを打ち鳴らし始めた。

その時だった。私たちが良く知るそれらの宗教と同じ儀式の流れに沿って、何人かの男が立ち上がって自分自身の周りを回転し始めた。

儀式全体は1時間続き、その間踊り手は大声で笑い、理解不能の言葉を言い、深いトランス状態にいるようだった。彼らはゆっくりと回転するのをやめ、パーカッションは徐々に小さくなり、居間の明かりが点灯した。私は彼らに何を感じたのか尋ねた。

「私は宇宙のエネルギーと接触していました。」と彼は答えた。「神が私の魂を通り抜けたのです。」
「常に実践を続け、特別な信念を持つためには、何か他にする必要がありますか?」と私は尋ねた。
イスラム教で最も重要な神学者のひとりによれば、スーフィズムは教義や信念体系ではありません。それは、動的な全てのものを通した悟りの伝統です。」

アブ・ムハンマド・ムタイシはこう言う。「スーフィーは自分の足と同じ速度で思考を歩む者です。彼の魂は彼の体が存在する場所であり、逆もまた然り。「スーフィーはどこにいようと彼である全てもそこにいます。つまり、働く者、神秘主義者、識者、瞑想者、楽しむ者全てということです。」

スーフィズムは、イエスやモーゼ、ソロモン、他の文化の覚者のような偉大な預言者を通して人間に伝達されてきた知識を受け入れるほどに普遍的だ。しかし、その根は完全にイスラムと世界のイスラム教の概念に覆い隠されたままだ。スーフィーの学習体系は、いわゆるオカルトの序列体系に似ている。師匠と弟子がいて、修行はその進歩段階、特別な恩寵(バラカ)等に従って明らかにされるのだ。師匠は「カリスマ」と呼ぶものを必要とし、それは、それを見つける人の心に繋がることの出来る力だ。

イニシャルA.M.で知られる今日のスーフィーの偉大な達人はこう言う。「スーフィズムの中心となる手法は、私たちの愛を受け入れる知覚の開発だ。愛は知性や創造性を活性化する唯一のもので、私たちを浄化し自由にするものだ。スーフィーであるとは、愛する能力があること、愛する者(神)が必要としていることに注意を払うこと、一日24時間、全ての行為を神に近づくために使うということを意味する。」

Mitchelle Aritmezによる英訳

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