白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

全ては動く - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

全ては動く
2007/10/24
パウロ・コエーリョ

全ては動く。そして全てはリズムになる。動くもの全ては音を生み出す。それはこの瞬間、ここで、世界中で起きている。私たちの祖先は、洞窟の中で寒さから逃がれようとしたとき、同じことに気がついた。つまり、物事は動いて音を出した。

おそらく、最初の人類は怖れを持ってこれを見た。次には信仰も持って。つまり、これは超越的存在が自分たちと交信する手段だと理解した。この存在と交信することを願って、彼らは周りの音や動きを真似し始めた。こうしてダンスと音楽は生まれた。

踊るとき、私たちは自由だ。

もっと言えば、体がルーチンの一部でないリズムに従うとき、魂は宇宙を旅することができる。このようにして、私たちは大小さまざまな苦しみを笑うことができ、どんな怖れもない新しい体験に自分を解放できる。祈りや瞑想は、沈黙と内観によって私たちは聖なる状態に導かれるけれど、ダンスでは、一種の集団トランスを他の人と一緒に祝う。

ダンスについて書きたいことならなんでも書くことができるけれど、それは役に立たない。書かれていることを知るためには、踊る必要があるのだ。聖なる峰に登る登山家のように、疲労するまで踊りなさい。息が切れ、いつもと異なるやり方で体が酸素を受け取るまで、そのために私たちのアイデンティティー、空間や時間との関係が失われるまで踊りなさい。

それが内気を克服する助けになるなら、もちろん私たちは一人で踊ることもできる。でも可能な時はいつでも集団で踊る方が良い。一人が皆を刺激し、ついには全員が同じエネルギーで接続された魔法の空間が作られることになるからだ。

踊るために学校で学ぶ必要はない。ただ自分の体に教えてもらうだけだ。私たちは最も暗い時代から踊って来て、これを忘れることはなかったのだから。私が思春期の頃、近所のこどもたちの間にいた素晴らしい「バレエダンサー」を羨み、パーティーで、会話を交わすなど他にやるべきことがあるフリをしていた。でも実際は、奇妙に見えるのが怖くて、一歩も思い切って踏み出せなかったのだ。皆がいる前で、マルシアという女の子が私に声をかけた日までは。:

「踊りましょう!」

踊るのは好きじゃないと私は言ったが、彼女は言い張った。グループの皆が見ていて、私は恋をしていたので(愛はとてもたくさんのことを可能にする!)それ以上は拒めなかった。私は滑稽で、どうやってステップについて行って良いのかわからなかったが、マルシアは止めなかった。まるで私がルドルフ・ヌレエフであるかのように、彼女はダンスを続けたのだ。

「他は忘れて、ベースを良く聴いて。」彼女は私の耳にささやいた。「そのリズムについて行ってみましょう。」

その瞬間、私たちは最も重要なことを常に学ばなければならないわけではないのだと理解した。それは既に私たちの性質の一部なのだ。若い頃、踊ることは基本的な通過儀礼だった。初めてのとき、恵みの状態、深い恍惚を感じる。たとえ、音楽にあまり合っていなくて、パーティーでそれぞれ楽しむ単なる少年少女の集団でしかないとしても。

大人になっても、年を取っても、私たちはダンスを続けるべきだ。音楽は人生の一部だが、リズムは変化する。ダンスは、このリズムを自分の内側に招き入れた結果なのだ。

今でも、私はできるときにはいつでもダンスする。ダンスによって、スピリチュアルな世界と現実世界が、混乱なく共存することが可能になる。かつて誰かが言ったように、クラシックのバレリーナはいつもつま先立ちをしている。それは彼らは地上に触れると同時に、空にも到達するからなのだ。

原文:http://paulocoelhoblog.com/2007/10/24/everything-moves/