白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

書くという行為1/2ー読者 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

書くという行為1/2ー読者
2008/4/16
パウロ・コエーリョ

「ふたつのタイプの作家がいる。:思考させる作家と夢を見させる作家だ。」とブライアン・アルディスは言う。
彼のサイエンス・フィクションの本で、私はこれほど長い間夢を見て来た。彼の文章と私の仕事について考えながら、私は主題についていくつかのコラムを書くことにした。原則として、この地球上の人類すべては、隣人に語るために少なくともひとつの良い話を持っていると私は信じている。以下は、テキストを作る過程でのいくつかの重要な項目についての私の考えだ。


●読者

他の何よりも、作家は良い読者であるべきだ。学術的文章に固執し、他の人が書いたもの(ここで私は本についてだけではなく、ブログや新聞、コラムなどについても話している)を読まない種類の人は、自分自身の資質と欠点を知ることがないだろう。

だから、何かを始める前に、言葉を通して経験を共有することに興味をもつ人々を探しなさい。「他の作家を探しなさい」と言っている訳ではない。私が言っているのは、さまざまな技術を持つ人々を見つけなさい、ということだ。書くことは、熱意を持ってなされる他の活動とも違いがないからだ。

あなたの盟友は、必ずしも賞賛を持って見て、「これ以上の人はいないよ」と言う人々ばかりだとは限らない。その全く反対だ。間違いを犯すことを怖れず、今なお間違いを犯す人々だ。
だからこそ、彼らの作品は常に認められている訳ではない。しかし、それが世界を変える人々のタイプで、多くの過ちの後、コミュニティーの中にあらゆる違いを作り出す何か正しいものを彼らは手に入れることが出来る。

彼らは、物語を語る最善の道を決定する前に、物事が起きるのを無駄に待つことは出来ない人々だ。非常にリスクが大きいにちがいないと知っていても、彼らは行動して決定する。

そんな人々の近くで生活することは作家にとって重要だ。なぜなら、作家は、何かを紙に書き記す前に、想像力の放浪に従って方向を変えられるほどに十分に自由であるべきだということを理解する必要があるからだ。文章が終わりにくると、作家は自分自身に言わなくてはならない。:「書いている間、私は長い道のりを旅した。今、私は十分に危険を冒し、自分自身の最善を尽くしたという完全な自覚を持ってこの段落を終えることができる。」

最高の盟友は他の人のように考えない人々だ。だからこそ、仲間を探し求めている間(読者と作家が会うのは稀なので、常に見える訳ではない。)、自分の直感を信じて他人の意見に注意を払わないで下さい。人々は常に自分自身の限界のモデルを使って他人を判断する。そして、時に、コミュニティーの意見は偏見と怖れでいっぱいだ。

「終わった。私はここで止めなくてはならない。」と一度も言ったことがない人々に参加して下さい。ちょうど冬の後に春が来るように、何にも終わりはないからだ。目標を達成した後、道中で学んだすべてのことを常に使いあなたは再び始めなければならない。

歌い、物語を語り、人生を楽しみ、目の中に幸せを持っている人々に参加しなさい。幸せは伝染し、人々が失望、孤独、悩みで麻痺することから人々を常に遠ざけることができるからだ。

そしてあなたの物語を語りなさい。たとえそれを読むのがあなたの家族のためだけだとしても。


●ペン

結局のところ、思考のすべてのエネルギーはペンの先端に現れる。もちろん、ここではボールペン、コンピューターのキーボード、鉛筆で代替もできるが、ペンの先端のほうがよりロマンティックだと思わないだろうか?

テーマに戻ると、結局のところ、言葉はアイディアの凝縮だ。紙はこのアイディアの単なるサポートだ。しかし、ペンは常にあなたと共にあり、あなたはその使い方を知っていなければならない。

活動しない時期は必要だ。常に書いているペンは、結局、していることについての自覚を失ってしまう。だから休めるときにはいつでも休み、生活と友人に会うことに気を配る。執筆の仕事に戻るとき、あなたはその完全な強さを持った幸福なペンを見つけるだろう。

ペンは善悪の観念を持ち合わせていない。即ち、ペンは作家の手と願望の延長だ。それは評判を壊し、夢を見させ、ニュースを届け、愛の美しい言葉をなぞるために仕える。だから、あなたの意図はいつでも明確にして下さい。

手は、体のあらゆる筋肉、書く人のあらゆる意図、感じたことを共有するためのあらゆる尽力が集中した部分だ。手は腕の一部であるだけではなく、自分の思考の延長だ。バイオリニストが自分の楽器に対して持つのと同じ敬意を持って、あなたのペンを握って下さい。


●言葉

言葉は、自分の隣人と何かを共有したいと願う人の最終目的だ。

私たちが書くことは、記憶の産物か未知なるものだけだ、とウィリアム・ブレイクは言った。私が提案できるなら、未知なるものに敬意を払い、そこにあなたのインスピレーションの源を探して下さい。物語と事実は同じままだ。だが、無意識への扉を開きインスピレーションに身を任せるとき、あなたが生きたことや夢見たことを述べる方法は、無意識がペンを導いているときよりも、常にはるかに豊かだということがわかるだろう。

すべての言葉はあなたの心に記憶を残す。その記憶の総和が、文章、段落、本を形成する。

言葉は、あなたのペン先と同じように柔軟で、道にあるサインを理解している。発見するとき、より良いチャンスに気付くとき、文章はコースを変更することを躊躇しない。

言葉は水と同じ資質を持っている。岩を回り、川底に馴染み、時々、落ち込みが埋められるまでは湖に変わり、旅を続けることが出来る。

なぜなら、言葉が感情と魂から書かれているとき、それらは自分の目的地がテキストの海であって、遅かれ早かれそこに到着しなければならないことを忘れないからだ。

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