白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

20年後 その2 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

20年後 その2
2006/4/22
パウロ・コエーリョ

1986年、レオンにいたあの遠い午後のこと。6、7ヶ月以内にその経験を本に書くということを、私はまだ知らない。
羊飼いのサンチャゴはすでに私の魂に住み着いて宝物を探している。ベロニカという女性は錠剤を飲んで自殺する準備をしている。ピラールはピエドラ川のほとりに到着し泣きながら日記を書いている。そのことを私はまだ知らない。

知っていることは、私が不条理で単調なこの道を歩いているということだけだ。ファックスも携帯電話もなく、休憩所はまばらで、ガイドはいつも苛立っているように見え、ブラジルで何が起きているかを知る術がない。

知っていることは、まさにこの瞬間には、私は気が張っていて、神経質になっていて、ペトラスと話すことが出来ないということだけだ。
なぜなら、私は自分がしていたことに戻れないということを発見したばかりだったからだ。
それがたとえ、毎月もらえるはずの妥当な金額を辞退することになったとしても。たとえ、一定の感情的な安定やいくつかの技術を習得してすでに知っている仕事に目を背けることになるとしても。
私は変わる必要がある。夢に向かって歩む必要がある。こどもじみて、ばかげていて、叶えるのが不可能に思える夢。
それは作家になること。いつもひそかに憧れていたが、叶える勇気が十分にないのだ。
ペトラスはコーヒーとミネラルウォーターを飲み終えた。次の街まではまだ数キロあるので、再び歩き始めるために勘定を支払うよう私に要求する。
人々は歩き、話し続ける。2人の中年の男の方をちらりと見て、彼らは思っている。
この世にはなんと気味悪い人達がいるものだ、すでに死んだ過去(*)を追体験するつもりなのだろうか?
午後が終わりかけていて、今の温度は約27度。数千回目の自問をする。私は間違った決断をしていないだろうか?

私は変わりたかったのだろうか?私はそう思わない。だが、この道は私を変化させている。
私は神秘を解き明かしたかったのか?そうだと思う。だがこの道は、(イエス・キリストがかつて言ったように)神秘などないと私に教えている。明らかにされていないオカルトはないのだ。
基本的に私に起きることは全て、期待していたのと逆のことだ。

私たちは立ち上がり、黙って歩き始める。私は自分の考えと安全とに没頭している。私が思うに、ペトラスはミラノでの自分の仕事のことを考えているにちがいない。ある意味では、彼はトラディションに義務づけられたからここにいるのであって、彼がやりたいことに戻るために、おそらくこの旅を終わらせたいと思っているだろう。

私たちは残りの午後のほとんどを会話もなく歩いた。私たちは義務的な関係の中で孤立している。コンポステーラの聖ジェームスはもう目前で、この道が私をこの街や世界のたくさんの別の街に導くということは想像出来ない。
この午後、レオンの平原では、ペトラスも私もまだ知らない。
私もまたペトラスの街であるミラノに向かって歩いていることを。およそ10年後、「アルケミスト」と呼ばれる本と一緒に私はそこに到着することを。
私は運命に向かって歩いている。何度も夢見、何度も否定した運命に向かって。

20年後、つまり今日これらの文章を書くはずの場所に、私は数日以内に正確に到着するだろう。私はいつも望んでいたものに向かって歩いている。私の人生が変わるという信仰も期待もなく。

それでも私は進み続ける。遠い未来に向かって。
私たちが今いるバーを、私は数日以内に通過することになるだろう。
20年後、妻はそこで座って本を読んでいて、私はコンピューターでこの文章をタイプしている。それは数分でインターネットを通して新聞社に送信され、そこで公開されるだろう。

私は未来に向かって歩いている ー1986年8月の午後に。

(*)私が巡礼の旅をした年、聖ジェームスの道を歩いたのは年にたったの400人だった。非公式の統計によると、2005年、聖ジェームスの道を歩いたのは400人、しかし1日あたり。(バーの情報による)

原文:http://paulocoelhoblog.com/2006/04/22/twenty-years-later-ii/