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1分間の読み物:夢を殺すこと - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

1分間の読み物:夢を殺すこと
2014/1/13
パウロ・コエーリョ

私たちの夢を殺す過程の第一の症状は時間の不足である。私の知る最も忙しい人々は、常にすべてをするのに十分な時間を持っている。何もしない人々は常に疲れていて、やるように求められる少量の仕事に注意を払わない。彼らは一日が短すぎることにずっと文句を言う。実のところ、彼らは善き戦いをするのを怖れているのだ。

私たちの夢の死の第二の症状は確実性の中にある。私たちは、人生を壮大な冒険だとみなしたくないので、人生に多くを求めないことが賢くて公正で正しいことだと考え始める。日々の生活の壁の向こうを見て、槍が折れる音を聞き、塵と汗のにおいを嗅ぎ、戦士の目の中に大きな敗北と炎を見る。しかし私たちは限りない喜び、戦闘に従事する者たちの心の喜びは見ることがない。彼らにとっては勝利も敗北も重要ではない。重要なのは彼らが善き戦いをしていたということだけなのだ。

そして最後に、夢の死の第三の症状は平穏である。人生は日曜の午後になる。そして、私たちは壮大なものを何も求めず、自分が与える意志がある以上のものを要求することをやめる。その状態で、私たちは自分を成熟したと考える。若い頃の幻想を脇にやり、個人的で職業的な達成を追求する。私たちの年齢の人々がまだ、人生からあれこれ欲しがっているということに私たちは驚かされる。
しかし心の奥深くで、本当に起きたのは、自分たちが夢のために戦うことを放棄したのだと知っている。ー私たちは善き戦いを放棄したのだ。

夢を放棄して平穏を見つけると、私たちは短期間落ちつきを経験する。しかし、死んだ夢が私たちの内部で腐り始め、全存在を侵し始める。
私たちは周りに冷酷になり、この冷酷さを自分自身に向け始める。
それが病気と精神障害を引き起こす。戦闘で避けようとしたこと ー失望と敗北ー が、自らの臆病さのために私たちを不意に襲う。

そしてある日、死んで無駄になった夢が呼吸を困難にし、私たちは実際の死を求める。
確実性と仕事から、そして日曜の午後のひどい平穏から、私たちを自由にするのは死なのだ。

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