白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

マスターとの会話:悲劇 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

マスターとの会話:悲劇
2018/1/11
パウロ・コエーリョ

(ここで私は、1982年から1986年までの私のマスターとの会話からの抜粋を再現し続けている)

ー世界にはなぜ、それほどたくさんの悲劇と悲惨さがあるのでしょうか?

悲劇と悲惨さは別物で、非常に長引く題材だ。最初に話したいのはどちらについてか?

ー今は悲劇について。人はなぜ苦しむのでしょうか?

聖書を読めば次の一節がある。:
「善きものは、主よ、あなたからやってきます。悪しきものも、主よ、あなたからやってきます。それなら、怖れるべきものは何でしょう?」

ーそれでも、私たちは苦しみます。

その通り。しかし、次のことを考えなさい。:私たちが持っている10の問題のうち、9つは罪悪感、自己懲罰、自己憐憫を通して私たち自身が作りだす。
しかし、私たちの道には時々、神によってそこに置かれた大きな障害物が現れ、それには理由がある。その理由は、私たちが前進するために、すべてを変える機会を与えるためだ。

悲劇とは何か?人生の根本的な変化は、常に同じ仕組みに関連している。それは損失だ。
苦しみは、常に人や、例えば健康や美、その人の財政状態のような物事の損失の結果だ。

損失に直面したとき、去ったものを取り戻そうとしても無駄だ。その一方、あなたの人生には大きなスペースが開けている。そこは空っぽで、何か新しいもので満たされるのを待っている。損失のとき、これは矛盾しているようだが、その人は自由の大きな一片を与えられているのだ。

しかし、悲劇に直面したとき、大抵の人はこのスペースを痛みと苦しみで満たしてしまう。彼らは必然性に対峙する別の方法があるかもしれないとは決して考えないのだ。

ー例えば?

第一に、賢者の偉大な教訓を学ぶことによって。
つまり、忍耐と、良いことも悪いこともすべてはこの人生で仮のものだという確信だ。
第二に、あなたがいつも夢見ていたことをするために、日常で新しい物事を危険にさらすために、この突然の変化をもちろん利用すること。

ーこれは物質的なことについては明白です。しかし、誰かの死についてはどうですか?

私たちは死についてたくさん話し合ってきた。あなたが知っているように、亡くなる人にとって死は存在せず、その人は根本的な変容の歓びを謳歌している。死の感覚はここに残った人にだけ存在する。あらゆる親愛なる人が出発すると同時に、私たちの守護者になる。だから、恋しい期間が過ぎたら、私たちは楽しむべきだ。より良く守られているのだから。
同じように、私たちもいつか反対側に行き、下方にいる愛する人々を守るのだ。

ー私たちが嫌う人たちはどうなるのでしょうか?

正確にあなたが想像するとおりになる。彼らは憎しみの感情を通して私たちに縛られたままだ。それがイエスが、「寺院に行く前に、戻ってあなたの兄弟を許しなさい」と言ったのはこのためだ。人は、許しの水でその魂を永遠に清めておくべきなのだ。

ーしかし、悲劇に戻ると….

測ることの出来ないものがある。それは痛みの激しさだ。彼らが言うので、私たちはある人が苦しんでいるのがわかる。しかし、正確にどれくらいか評価することはできない。
私たちはしばしば、悲劇に直面した誰かの態度を比較しようとし、終いには実際より強いか弱いか判断する。不揃いの痛みを何とも比較してはいけない。苦しんでいる人だけが、自分が体験した来たことを知ることが出来る。

それゆえ、避けられない悲劇が現れたら、私たちはこれらの3つのことを思い出さなければならない。:損失の自由を最大限に活用すること、痛みを判断しないこと、忍耐の技術を学ぶこと。それはあなたの悲劇の9/10を破壊するだろう。だが、1/10は残り、あなたを無限に強化するだろう。

 

paulocoelhoblog.com 

youareme.hatenablog.com