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注目の人 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

注目の人 - パウロ・コエーリョ
2016/8/22
パウロ・コエーリョ

ーベストセラー「アルケミスト」を書くのに14日しかかからなかったとあなたは述べています。それは、(あなたが最近述べたように)すでにあなたの魂に書かれていたからなのですか?

自分でより良い説明をしてみましょう。
私は、私たちそれぞれが顕現すべき神の光の火花を持っていると思います。それはこの地球上での私たちの任務で、人間としての要求、自分自身を正当化するための要求です。
非常に若い頃から、私の夢は作家になることでしたが、先延ばしにしていました。人は時折、自分がここにいる理由に対峙するのを怖れるのです。私が自分の船を焼き払って執筆を始めようと決めたのは40歳の時でした。サンチアゴへの道(コンポステーラへの巡礼道)の最初の経験のことを書きました。それから、2冊目に自分の人生の隠喩を書くと決めました。それが多くの魂に触れることになることを、もちろん知らずにですが。

ですから、「アルケミスト(1988年)」は、私自身を理解するために、振り返って良い物語と良い喩えを探しすだけの問題でした。それから、そうです、2週間かけて紙の上に書き留めました。しかし、本はずっと前からそこにありました。なぜならそれは私の人生だからです。


ーあなたにとって書くとは、単純にあなたの内に埋まっている宝を見つけることなのですか?もしくは、愛の作業、労働に近いのですか?

「愛」は、私たちがするすべてのことに関係していると言えるでしょう。第一に、あなたはこの呼びかけを聞かなくてはなりません。ご存知のように、あなたが人生を正当化する何かに近づいている時、ーそれはガーデニング、料理、タクシーの運転などあなたが愛をもってすることならなんでもそうなのですが、ーその手掛かりはまさに愛です。私は作家が他の何よりも良いとは思いません。あなたが熱意を持ってするすべてのことが、神を実際に顕わしているのです。

次のステップは技巧を学ぶことです。ですから、書くために、私は最初に読まなくてはなりませんでした。書くことは講座やワークショップでから学ぶわけではありません。ー私はそれらを信じていません。他の作家を読むことで学ぶのです。彼らは自分の魂、経験、持っているものなら何でも、仲間の人間と共有しようとした人々です。そして、あなたはいくつかの選択をしなくてはなりません。つまり、何について書こうか?私の主な疑問は何なのか?それから、あなたは自分の技術を開発し始めます。他の人々がしていることを繰り返さないように革新を始めます。

私のケースでは、基本的な課題は簡素化でした。私は非常に複雑な作家の作品を読んだことがあり、時に物語に心を奪われましたが、私は思いました。「なんてことだ、複雑すぎる!なぜ1段落、1ページを使っているのか?1文で十分なのに。」ですから、私はどうカットするかを学び始め、これが今私のやっていることです。どの私の本も最初のバージョンは、最終版の3倍のページ数です。それは自分自身の肉体を削っているようですが、それをする必要があるのです。

ーあなたはご自身をスピリチュアル作家ではないと言いました。「スピリチュアリティー」は役に立たない表現だと思いますか?

私たちそれぞれが、顕すべき神の光の火花を持っていると思います。それは私たちのこの地上での任務であり、人間としての要求です。
時に私は自分の主な疑問について書き、それが精神世界にあるからと言って、私がスピリチュアル作家であるということにはなりません。あなたが戦争のことを書いても、あなたが将軍だということにはならず、スパイについて書いても、あなたがスパイだということにはなりません。しかし、スピリチュアル作家に分類されると、人々はこう思います。「ああ、彼は答えがわかっている」または、「彼にはより良いコネクションがある」、もしくは…。ああ、私が本当に嫌いなものがあるとするなら、それはニューエイジです。私にとってのニューエイジは、ひとつの宗教を引き受ける勇気を持たない人々によって作りだされた、あらゆるタイプの宗教のるつぼです。

ですから、私はカトリック作家でなく、カトリックであることが起きた作家?とでも言いましょうか。時々、私は教皇に完全に同意しません。私の教会、私の宗教の宣教師を尊敬しますが、ー英語でなんと言えば良いでしょう?ー 私は、霊的な洞察力は、特権をもつ人達やカトリック教徒などのためだけではないという意味で、私は自分の宗教を越えて行きたいのです。私たちは、様々な信仰の人々と議論する必要があります。

「11分間(2003年)」の中で、マーリアは自分のことをこう言います。「彼女はとても賢い考えを書く能力をたくさん持っているけれど、自分のアドバイスに従う能力はまったく持ち合わせていない。」ーそれは、時に私のことです。しかし、私は自分の言葉に出来る限り近づこうと努めます。なぜなら、私は大抵は自分のために書いているからです。私は、ええと、自分が誰であるかをもっと垣間見るために書くのです。私はちょうど新しい本を書き終えたところです。そして気がつきました。それらのことはそこにあっても、私に見えなかったのです。
エスが盲目の男を癒す時のように。彼がシナゴークに行って「おい、彼が私を治療したぞ!」と言い、彼らが「見てみなさい、彼はインチキだ。ペテン師だ」と言うと、その男は言います。「私は気にしない。盲目だったが、今は見えるようになった」。
これは少し私にも当てはまります。時々私は自分自身に盲目ですが、答えは私の魂にあります。突然、それを見始めるのです。

私はこの発言を何度も聞いたことがあります。私の印象を話しましょう。私には読者に会うふたつの方法があります。本のサイン会とインターネットです。
おそらく、1000人にひとりは何をしたらよいかを私に尋ねます。サイン会では、そのようなことを尋ねる人はいません。フェースブックツイッターでは、彼らは大体、「今日は私はこんな感じだった…」と言うでしょう。ー私が妻に、「今日、私はこれにそれほど熱中出来なかった」と言うように。ですが、それは彼女が私の人生に究極の答えを持っているからではなく、私の問題を彼女と共有したいと感じるからです。読者は私にこのようには尋ねません。「パウロ、私の人生の意味は何ですか?」彼らは私が答えを持っていないことを知っているからです。

それにも関わらず、彼らの多くにとって「アルケミスト」は、人生や世界の見方を変える1冊となっています。ですから、もしあなたがそのように提示しなくても、あなたは多くの人々の生活の中で役割を演じているのです。

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