ヒッピー 第1章 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
ヒッピー 第1章
2018/9/4
パウロ・コエーリョ
1970年9月、世界の中心地という称号を巡ってふたつの場所が対立の構えを取っていた。
ロンドンのピカデリー・サーカスとアムステルダムのダム・スクエアである。
しかし、誰もがこのことを知っていたわけではない。:
あなたが尋ねれば、大抵の人はこう言っただろう。「アメリカのホワイトハウス、それとソ連のクレムリンだ。」
これらの人々は、新聞、テレビ、ラジオから情報を得る傾向にあった。そしてそれらのメディアは既に完全に時代遅れで、最初に発明されたころの優位性を回復することは決してないだろう。
1970年9月、飛行機のチケットはとんでもなく高値で、それは金持ちだけが旅行できるという意味だった。ーその通り。時代遅れのメディアが外見しか見る事ができなかった膨大な数の若者たちにとって、それは必ずしも真実ではなかった。:
彼らは髪を長くし、明るい色の服装に身を包み、決して入浴しなかった(これは嘘だったが、その若い子たちは新聞を読まなかったし、より古い世代は彼らが「社会と万人の良識への脅威」であるとみなしたものを誹謗するのに役立つような新しい記事ならなんでも信じた)。
人生の成功を試みる勤勉な若い男女の世代全体にとって、彼らは危険だった。彼らの淫らさと「自由な愛」(彼らを中傷する者は、軽蔑を持ってそう言うのを好んだ)はひどい手本だった。
さらにこの子たちは増え続け、ニュースを広める仕組みを持ち、その仕組みは誰にも(絶対に誰にも)見破られたことがないのだ。
「見えないポスト」は、地球のあちこちで発売されたばかりの最新のフォルクスワーゲンや新しい粉せっけんについての論議に悩まされることはなかった。それは「自由な愛」を実践しこれまでにないセンスの服を着た、その傲慢な汚い子たちによって探索されるのを待ちわびている、次の偉大なトレイルのニュースに限定されていた。
女の子たちは花で覆った髪を編み、長いドレス、明るい色のシャツを着て、ノーブラであらゆる形と大きさのネックレスをしている。;
男の子たちは何ヶ月も切りそろえていない髪と顎髭を生やしている。彼らは履き過ぎて裂けてしまった色褪せたジーンズを履いていた。なぜならジーンズは、アメリカ以外世界中のどこでも高価だったからであり、それはアメリカの工場労働者の貧民街から出てきて、サンフランシスコ内外のあらゆる主要な屋外ショーで着用された。
「見えないポスト」は存在した。人々はいつもそれらのコンサートに行き、そこでアイデアを交換したのだ。
次に会うべき場所について。または若者が退屈し年配の人が居眠りする間、ガイドが景色の説明をする観光バスの一台に飛び乗ることなくして世界を旅する方法について。
その口コミのおかげで、どこでコンサートが開かれるのか、どこで探索されるべき次の偉大なトレイルを見つけるのかを誰もが知っていた。
金銭的な制約は誰にもなかった。なぜならこのコミュニティーでは、皆のお気に入りの作家はプラトンでもアリストテレスでもなかったからだ。:有名な本。それを持たずに古い大陸を旅する人はほとんどいない本、「一日5ドルでヨーロッパ」の名で通っている本。ほとんど物を費やすことなく、どこに泊まるか、どこを見るか、どこで会うか、どこで生の音楽を聴くかをこの本で誰もが調べる事が出来た。
当時フローマーの唯一の過ちは、彼の案内をヨーロッパに限定したことだ。
見るべき興味深い場所は他にはなかったのだろうか?
パリよりもむしろインドに行く人々はいなかったのか?
フローマーは数年後にこの失敗に対処した。だがその時まで「見えないポスト」が、かつて「失われた」街マチュピチュで終わっている南米の旅程を宣伝する役目をかって出たのだ。
「見えないポスト」は同時に、ヒッピー文化圏外の人間には何も言わないよう警告していた。
カメラを持ち、そして飛べない人間には発見できないが上空からだけ発見できる非常に巧みに隠された都市をインディアンの一団がどうやって作ったのかを大々的に(すぐに忘れ去られる)説明する野生動物によって、その場所が侵略されないために。
公正を期して言えば、フローマーの本ほど人気ではないが、第二の巨大なベストセラーがあった。これは社会主義、マルクス主義、無政府状態をすでにかじっていた人々をさらに惹きつけた。;それらの各段階は結局いつも「世界の労働者が力をつけるのは必然だった」とか「宗教は大衆の阿片だ」と主張する連中が考案した体制に対する深い幻滅で終わった。またその主張は、そのような馬鹿げた発言をした連中が大衆をほとんど理解しておらず、阿片に関してはさらに理解していないということを証明しただけだった。:
物事の狭間でそれら服装の悪い子たちが信じていたのは、唯一神、多神教の神々、女神、天使、その類いだった。ただひとつ問題なのは「魔術師の朝」という本だ。これを書いたのは、フランス人のルイ・パウエルズとロシア人のジャック・ベルジエ(数学者、元スパイ、飽きないオカルト信者)。その本には政治マニュアルのまさに正反対のことが書かれていた。:
その世界はもっとも興味深いもので構成されていた。錬金術師、魔女、カタリ派、テンプル騎士団他、本屋であまり成功しなかったことを意味する他の言葉があった。その法外な値段のために、一部が少なくとも10人に読まれた。
とにかくこの本にマチュピチュのことが書かれており、誰もがペルーに行きたがった。そこへ行けば世界中の若者を見つけることが出来るのだ(まあ、世界中は少し言い過ぎだ。なぜなら東側の人たちは各自の国を出るのが簡単でなかったからだ)。
とにかく、私たちの物語に戻ろう。:
世界のあらゆる街角から来た若い人々は、「パスポート」として広く知られる非常に貴重なものを少なくともひとつはなんとか取得していて、いわゆるヒッピートレイルで出くわした。
「ヒッピー」という言葉が何を意味するのか正確には誰も知らなかったが、それはたいして問題ではなかった。おそらく、それは「指導者のいない大部族」または「盗まない不良少年」。あるいは、この章の前半ですでに扱ったあらゆる他の説明のようなものを意味したのだろう。
パスポート。それらの小さな冊子は政府によって発行され、現金(たくさんか少しか、それはまったく問題ではない)と一緒に腰に巻いたベルトの中に納められ、ふたつの目的を果たす。
第一は、皆がよく知っているように国境を渡るためだった。国境警備隊がニュース報道を確かめられず、誰かを送り返す決定をしないうちは。なぜなら彼らはその服装と髪、又はそれらの花やネックレス、そしてビーズや笑顔に慣れていなかったからだ。それらは、しばしば不当だが、恒常的にエクスタシーでキマった状態(通常状態)で生活していると思われる人々に属しており、マスコミによれば、それらの若者がますます大量に消費したという悪魔の薬のせいとされていた。
パスポートの第二の目的は、お金を使い果たしたり助けを求める所がどこにもないというような極限状態から、所有者を助け出すことだった。そのような場合「見えないポスト」は、パスポートが売れる可能性のある場所に関する必須の情報を常に供給した。値段は国によって異なった。:皆が金髪で背が高く、青い目をしたスウェーデンのパスポートはそれほど価値がなかった。それは金髪で背が高く、青い目の人にしか転売できないので、それらは決して人気ではなかった。しかし、ブラジルのパスポートは闇市で大変な値打ちがあった。ーその国には、金髪で背が高く、目が青い人だけでなく、背が高い人、低い人、濃い目の色の黒人、細い目のアジア人、その他の混血の人、インド人、アラブ人、ユダヤ人も住んでいた。;言い換えると、巨大な文化のるつぼであるために、ブラジルのパスポートは地上で最も切望されるもののひとつとなった。
一旦このパスポートを売れば、元の所有者は自国の領事館に行き、(恐怖と苦悩を装いながら)彼は襲われてすべてを持って行かれ、一文無しでパスポートを持っていないという説明をする。
裕福な国の領事館は、新しいパスポートと旅行者の出身国への無料フライトを供給するだろう。「誰かが私に大金を借りていて、行く前に元の私の分を受け取る必要がある」という主張の下で申し出は直ちに断られた。
将軍の手中でしばしば厳格な政権によって支配される貧しい国は、転覆を望む「テロリスト」のリストにその申請者が載っていないかどうか決定するため、実際の尋問を行うだろう。一旦その若い女性(または男性)がきれいな記録を持っていることを確認したら、これらの国々は(彼らの意志に反して)新しい書類を発行する義務があった。そして、彼らは帰りの飛行機を提供することがなかった。彼らはそのような業務怠慢が、神や家族、そして財産を尊重するよう育てられて来た世代に影響を与えるということに興味がなかったからだ。
トレイルに戻る:マチュピチュの後、次の流行の場所はボリビアのティワナクだった。それからチベットのラサ、そこに入るのは難しかった。なぜなら「見えないポスト」によれば、僧侶と中国人兵士の間で争いがあったからだ。もちろん、そのような争いを想像するのは難しいが、皆がそれを真剣にとり、後に僧侶か兵士の捕虜になる覚悟をしてまで終わりのない旅に出ようとはしなかった。最後の時代の偉大な哲学者たち(ちょうどその年の四月に解散したばかり)は、この惑星で最も偉大な英知がインドで見つかったと宣言されるまで少し時間を持っていた。知恵、知識、導師、貧困の誓い、悟り、「私の愛する神様」とのコミュニケーションを探す世界のあらゆる若者をその国に送るのにそれで十分だった。
しかしながら「見えないポスト」は警告した。ビートルズのグルとして有名なマハリシ・マへシュというヨガ行者が、ミア・ファーロウと性的な関係を交わそうとしたというのだ。
その女優は恋愛で常に不幸だった。彼女はビートルズの招待でインドに旅行した。おそらく、性的な関係の他のトラウマの治療法を見つけることを願って。これを彼女は悪いカルマのようなものと捕らえたようだ。
しかしこの旅で、ファーロウの悪いカルマは彼女とジョン、ポール、ジョージ、リンゴに同伴していたことをすべてが示唆している。彼が彼女をつかみ無理に性的関係を結ぼうとしたとき、彼女は偉大な予言者の洞窟で瞑想をしていた。旅のこの時点で、リンゴはすでにイングランドに戻っていた。なぜなら彼の妻はインド料理が嫌いだったからだ。そしてポールも瞑想を放棄することに決めていた。それは彼には効果がないと確信したからだった。
ミアが涙ながらに彼らを探しに来たとき、ジョージとジョンだけがマハリシの寺院に残っていて、彼女は起こったことを話した。ふたりは直ちに荷物をまとめ、何が起こっているのか覚者が尋ねに来たとき、ジョンが激しい返答をした。:
「あなたはクソ覚者だ、そうだろ?あなたはそれがわかるはずだ。」
さて、1970年9月、女性は世界を支配した。ーまたはより正確には、若いヒッピー女性が世界を支配した。どこへ行こうが、これらの女性は最新の傾向に乗ろうとしないと男性はよく知っていた。ー女性はこの問題を男性よりももっとよく知っていた。だから男性は、彼らがそれらの女性を必要としているということを一旦受け入れることに決めた。;
彼らは慕う表現をしばしば身につけていた。まるで懇願するように、「私を守ってください。全く孤独で誰も見つけることが出来ません。世界は私を忘れ、愛は私を永遠に見捨てたと思います。」
女性は男性を選んだが、結婚を考えることは決してなかった。ただ一緒に楽しい時間を過ごし、野性的で激しいセックスをするためだった。そしていざ重要なこと(最も表面的で無関係なことすら)となると、彼女たちは決定権を持った。
しかし、「見えないポスト」がミア・ファーロウの性的な殺人とレノンの反応に関するニュースをもたらしたとき、これらの女性は直ちに旅程を変えることに決めた。
アムステルダムからカトマンズに新しいヒッピートレイルが作られた。約100ドルでバスに乗り、きっと面白かったに違いない国々を通って旅した。:
トルコ、レバノン、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタン、そしてインドの一部(マハリシの寺院からかなり離れていることは注目に値する)。旅は3週間と、尋常でないマイル数の間続いた。
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カーラはダム・スクエアに腰掛けていて、彼女のこの魔法のような冒険(もちろん、彼女の心の中の)に同伴するべき男性がいつ現れるのか自身に問いかけていた。彼女は列車でたった1時間の距離のロッテルダムに仕事を残して来たが、最後のお金を残らず節約する必要があったので、ヒッチハイクをして旅はほとんど一日かかっていた。
彼女がネパールへのバス旅行を発見したのは、どこにでもあるありふれたオルタナティブ新聞のうちのひとつで、それらは世界に言いたいことがあると感じた人々の汗、愛、努力によって出版され、後にほんのわずかな値段で売られた。