白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

金色の薔薇 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

 

金色の薔薇
2010/7/8
パウロ・コエーリョ


私は夕食を終えたばかりで、今はコーヒーを飲みながら目の前の絵をじっと眺めている。:それは川に入れられ、1年間そこに残された。自然が画家の作品に最後の仕上げをするのを待ちながら。

絵の半分は水と悪天候に運び去られ、端はすべて不揃いである。だがまだ、金色の背景に描かれた美しい赤い薔薇の一部を見ることができる。私は画家を知っている。2003年のことを思い出す。私たちは一緒にピレネーの森に行き、小川を見つけた ーその時は乾いていたー そして河床を覆う石の下にキャンバスを隠したのだ。

私はクリスチーナ・オイチシカというその画家を知っている。この瞬間、彼女は肉体的には8000キロ離れた所にいて、同時に彼女は私の周りのすべての中に存在する。それは私を幸福にする。:29年間の結婚の後でさえ、愛はこれまで以上に熱烈だ。こんなことが起こるとは想像したこともなかった。:私は3つの関係を経験していて、それはうまく行かず、彼女がやってくるまで永遠の愛など存在しないと確信していた。ークリスマスの午後に彼女は天使からのプレゼントのようにやってきたのだ。
私たちは映画に行った。
その同じ晩にセックスをした。
私は心の中で思った。:「これは長くは続かないだろう。」
最初の2年間、私たちのうちの一人が関係を諦めるといつも予期していた。次の5年間、それは単なる取り決めで間もなく私たちはそれぞれ自分の道を行くだろう、と考え続けていた。私は心の中で確信していた。より深刻な性質の関わりが私から「自由」を奪い、私がしたかったすべてを経験するのを止めるだろうと。

29年が経ち、私はまだ自由だ。ーなぜなら、愛は決して私たちを奴隷にしないと発見したからだ。私は自由に頭を向けて隣りで彼女が眠っているのを見ることができる ーそれは私が携帯電話に持っている写真だー。 私たちは自由に外出し、散歩を楽しみ、話や討論を続ける ーそしていつものように折に触れて口論する。
今まで愛した事がないかのように私は自由に愛し、それが人生に大きな違いをもたらす。

絵と川に戻ろう。:2002年の夏のことだった。私はすでに作家として知られていて、お金を持っていた。基本的な価値は変わっていないと感じた。だがどうやったら私は絶対の確信が持てるのか?
試してみよう。
私たちはフランスの二つ星ホテルに小さな部屋を借り、毎年5ヶ月をそこで過ごし始めた。衣装ダンスがすこしも大きくできなかったので、私たちは服を制限する必要があった。私たちは森を歩き回り、外食し、会話に数時間費やし、毎日映画に行った。
そのすべての単純さは、世界でもっとも洗練されたものはあらゆる人の手に届く範囲にあるのだ、ということを私たちに確信させた。私が仕事に必要なのは持ち運びできるコンピューターだけだった。しかし、妻は...画家である。

そして画家は、作品を作ってそれを保管する巨大なスタジオを必要とする。私のために彼女の天職を決して犠牲にしたくなかったので、私は場所を借りる事を提案した。しかしながら彼女は、周りを見回し、山、谷、川や湖、森を見ながら思った。:私はここで仕事をしたらどうかしら?そして自然に私と一緒に仕事をさせたらどうかしら?

そしてこのようにして、キャンバスを野外に「保管する」という発想が生まれた。私は自分のラップトップを持って文章を書き続け、彼女は草の上に膝まずいて絵を描いた。1年後、私たちが最初の絵を取り出したとき、結果は独創的で見事だった。

私たちは忘れる事の出来ない2年間をその小さなホテルで暮らした。彼女はカンバスを埋め続けた。もはや必要からではなく、新しいテクニックを発見したからだった。アマゾン、ムンバイ、サンティアゴへの道、リュブリャナ、マイアミ。今日彼女は遠くにいるが、明日か来週は、私の隣で眠っていて、再び近くにいるだろう。満足。なぜなら彼女の作品は世界中に認められ始めているからだ。

今このとき、私は薔薇だけを見る。そして1979年のあのクリスマスに、私に2つのプレゼントをくれた天使に感謝する。:私自身の心を開く能力と、それを受け取る適切な人だ。

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