動くモニュメント - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
動くモニュメント
2014/6/2
パウロ・コエーリョ
非常に稀な例を除き(リオデジャネイロの救世主キリストの像はその例のひとつだが)、都市を象徴するのは像ではなく、最も予測外のものだ。
エッフェルが博覧会のために鉄塔を建てたとき、ルーブル美術館や凱旋門、印象的な庭園をよそに、これがパリのシンボルになるとは夢にも思わなかった。
リンゴはニューヨークを象徴する。
それほど多くの人が訪れない橋がサンフランシスコのシンボルだ。テージョ川にかかる橋もリスボンのポストカードの絵柄になっている。
バルセロナはたくさんの未解決の物事に満ちており、最も象徴的なモニュメントとして、未完の大聖堂(聖家族)がある。
モスクワでは、建物に囲まれた、もはや現代を象徴しない名前の広場(共産主義の思い出である赤の広場)が主な参照物だ。
などなど。
ジュネーブは、おそらくこれを考えて、同じ状態にとどまることなく、毎晩消えて翌朝出現し、風の強さと日光で瞬間ごとに変化するモニュメントを作ることにしたのだろう。
こんな伝説がある。
ある子どもが、アイデアを思いついて父親に話した。ちょうどオシッコをしているときのように、それが終わって侵略者が近づく前に消える彫刻があれば、自分たちの街は防御できるのではないかと。
父親は街の議員に話に行った。彼らは、公式宗教としてプロテスタントを採用しており、論理的でないもの全てを迷信と考えていたにも関わらず、アドバイスに従った。
他の物語では、湖に注ぐ川が非常に強い流れを生んだため、そこに水力発電ダムが建設されたが、労働者が帰宅する際にバルブを閉めると、水圧が非常に高くなり、ついにタービンが破裂した。
その後、ある技術者が、過剰な水を逃す場所に噴水をつくるというアイデアを持った。時が経つにつれ、技術が問題を解決し、噴水は不要になった。
しかし、おそらくは小さな男の子の伝説を思い出したために、住人たちはそれをそのまま残すことにした。
いまや街にはたくさんの噴水があり、この噴水は湖の真ん中にあるのに、どうやってそれを見えるようにできたのか?それで動くモニュメントが生まれたのだ。
強力なポンプが導入された。現在、1秒間に500リットル、垂直方向に毎時200キロメートルの非常に強い水流が噴出する。
そう言われているので、私は確認したのだが、それは1万メートルの高度を飛ぶ飛行機からでさえ見ることができる。
特別な名前もない、ただの「噴水」が、ジュネーブの街のシンボルだ(馬に乗った男や、英雄的な女や孤独なこどもの像もないわけではないが)。
スイスの科学者であるデニスに、噴水をどう思うか尋ねたことがある。
「私たちの体はほぼ完全に水で出来ていて、それを通して情報伝達のための放電が起こるのです。
そのような情報の一片が愛と呼ばれるもので、これが生体全体に干渉を及ぼすことができます。
愛は常に変化するのです。
ジュネーブのシンボルは、愛すべき、そしてどのアーティストも思いついた最も美しいモニュメントだと私は思います。」
伝説の小さな男の子がそれをどう感じるかはわからないが、デニスの言ったことは絶対的に正しいと私は思う。