白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

私はレストランを選ばなかった… - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

私はレストランを選ばなかった…
2010/3/5
パウロ・コエーリョ

このインタビューは1ページあるので、時間がある時に読んで下さい。少し偏っているけれど面白いです。

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FT(Financial Times)との昼食:パウロ・コエーリョ
AN・ウィルソン著

公開:   2010年3月5日 16時51分
最終更新: 2010年3月5日 16時51分

ブラジル人作家パウロ・コエーリョは奇才だ。
昼食のために彼に面会する前に、私は書店で彼の小説を探した。それらはフィクションの棚にはなかった。店員は、彼の作品を読みたがっているなんてオタクっぽいとでもいうような目で私を見ながら、「精神、肉体、魂」の売り場に案内してくれた。

1988年の「アルケミスト」はコエーリョの2作目の本で、最初は900部しか売れなかったが、やがて狂信的支持を得た。アンダルシアの羊飼いの少年が知恵を求めて世界を旅するこの物語は、これまでに3000万部以上販売された。その求心力の本質は、誰もが自分の人生を変えることが出来るというコエーリョの他の本でも何度も繰り返される中心的な考えだ。

これは根本的に誤った考えだ。大抵の人は状況に囚われる。だが、違った風に非常に多くの人々を説得できる作家に私は魅了された。1947年、ブラジルの中流階級の家庭に生まれたコエーリョは、厳しいカトリックの家系に反抗した。彼はヒッピーになり、ポップソングの作曲家として成功を味わい、結婚を(4回)してセックス、ドラッグとロックンロールの世界を探検した。当然の結果としてコエーリョは左翼思想を持ち、1974年にブラジルの軍事独裁政権と衝突して、投獄され拷問を受けた。

1986年、コエーリョが38歳の時、4番目の妻であるクリスティーナ・オイティシカにスペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道を歩くよう説得され、こども時代のカトリック信仰に再改宗した。それは小文字のcのカトリック信仰で、東方の知恵、バガヴァット・ギーター(訳注:700行の韻文詩からなるヒンドゥー教聖典のひとつ)等を取り入れる。その旅は1987年に出版された彼の最初の本「星の巡礼」にアイディアを与えている。

今やスター作家は、彼のお気に入りの「古典」からの抜粋をまとめて「直感」と呼ばれる本にした。結果は、セックスと信仰という典型的なコエーリョ・ブレンドだ。「チャタレイ夫人の恋人」またはガブリエル・ガルシア・マルケスからの露骨な性的表現が、「砂漠の父」と「バガヴァット・ギーター」と懇意にする。それはコエーリョの心のスナップショットだ。

62歳のコエーリョは、1年の半分をリオ・デ・ジャネイロで過ごし、もう半分をジュネーブで過ごす。私が彼に会うために飛行機で行くのはスイスの湖畔だ。私たちはオーヴィヴ公園ホテル(the Hí´tel du Parc des Eaux-Vives)のレストランで食事をする手配をする。場面に相応しく精神的な名前だ(訳注:オーヴィヴはフランス語で「生ける水」を意味する)。私は、彼の会話から生きた噴水を飲むのを楽しみにしているが、5つ星の昼食も期待している。

近づくにつれ、魅力的な18世紀の城が見える。だが、建物と公園はジュネーブ市の所有で、庭園は致命的な地方自治体の感覚を持っている。私は1時の約束のために早く到着し、貪欲においしい(ように見える)料理を期待しているーおそらく、メーンロブスターの輪切りとカリフラワーのタブレのレモンコンフィとキャビア添え、アブルガエッグ、続いて、豚の頬肉をセージで低温調理したもの。

レストランはいっぱいだ。高齢の金髪の女性と、彼女の愛人が一角を占めている。ふたりの男がホタテ貝と、さらにホワイト・バーガンディを貪る。突然、フランス風の窓の傍にコエーリョがいて、手を振っている。小柄で、グレーのあごひげを携え、白く長い髪の束を後ろに垂らし、黒いスーツ、黒いシャツ、黒いズボンと運動靴を身につけている。店内に入るとすぐ、骨が砕けそうな握手をしてくれた。
「ロンドンに住んでいた頃、フィナンシャルタイムスはとても重宝しました。私の祖国は軍事独裁政権でした。この新聞は祖国の真実を教えてくれる唯一のものでした。」

私は、フィナンシャルタイムスへの彼の賛辞をありがたく受け止め、彼の関心をメニューに向けようと試みる。

「朝食、昼食または夕食をとりますか?」と彼は私に尋ねる。

ー3つとも、と私は答える。

「私は、朝食と夕食はとるけれど、昼食は食べないんです。」と彼は言う。

記事の構成が彼には明らかになったようなので、私は例外を懇願する。
ーカクテルはいかがです?「オレンジジュースだけにします」。
私は自分にはオリーブ添えのジンマティーニを注文し、同じものにさせて下さいと彼は言う。
私は彼にどこで英語を学んだのか聞く。彼の英語は流暢だが、時々文法的に怪しい。
「私はヒッピーになりました」。轟くような笑い。

「マルティニス」がくる。ホワイト・チンザノが飛び散った温かいタンブラーに注がれている。氷もジンも入っていない。文句を言うのは嫌なので、私は代わりにワインを注文するだけだが、コエーリョは若いウェイターにニューヨークのバーテンダーがどうやってマティーニをシェイクするのかを辛抱強く説明する。ややこしいことに、彼はそれから注文をオレンジジュースに切り替える。

私たちはインタビューを始める。コエーリョはインターネット中毒になっていると言う。
だから、一日に何時間くらいインターネットをしているのか私は彼に尋ねる。

「やるべき時間以上に」

ーあなたには67万7千人以上のフェイスブックフレンドがいますね、と私は言う。

「おっしゃる通りです」またも愛嬌のある轟くような笑い。「どうして知っているのですか?」

ーたいてい女性ですね、と私は言ってみる。

「そうです、そうです…。通常のフェイスブックページでは最大5000人までのフレンズが持てます。それから5千人を超えるとそれは変わります。ファンページになるのです。女性に関しては、私が読者との関係を知ることができる唯一の場所があります。それはサイン会ですが、もうそれはやりません」。

ーどうしてサイン会をやめたのですか?

「3年前ロンドンで、オックスフォード通りにあるボーダーズに行かなければなりませんでした。私たちは6時間サインしました。私は作家というよりはむしろロックスターのようです。それで、全ての本にサインすることは出来ないと、私は最初に決めました。」

注文する時間だ。コエーリョは結局、メニューに質素なゆで卵を見つける。
"当店流"ゆでたまご("当店流"ゆでたまごのゆで方は、殻は剥いてあったけれど、他の人のゆで方と非常に良く似ていた)。この状況において、私が自分用に美食を注文することはなかなか出来ないので、魚で手を打つことにする。タラの切り身のバターとコンワワ添え。

コエーリョは私に「11分間」を読んだことがあるかどうか尋ねる。それは2003年に出版された世界的ベストセラーフィクションで、娼婦の日記だ。幸運なことに、その本を持っている、と私は言うことができる。コエーリョは、彼女の人生の物語をほとんどおとぎ話のように語る。「私たちは皆、片足をおとぎ話に、もう片足を地獄に置いているのだ」と彼は書く。タイトルの「11分間」は、彼女の客のひとりが彼自身を満足させるのにかかる時間だ。その行為の間中、彼女は彼の一日の残りを想像する。

私の考えでは、その本は極めて大胆なだけではなく、彼の最高傑作だ。その本は、スイスで娼婦として働いていた実在のブラジル人女性の日記に基づいている。彼はそれについて話したくてうずうずしていて、オレンジジュースを啜っているときにそうする。私はピノ・ノワールという看板メニューの赤ワインを注文する。

「物語の基礎として、彼女の日記を使いました。」

ーどうやって彼女に会ったのですか?

「とてもおかしな話なのです。私はモントーヴァ(イタリア)で会議を開いていました。、参加者の中に、ポルトガル語で『あなたと話をする必要があります』と書かれたプラカードを持った人がいました。『これは問題を抱えた人物だ』とわかります。私はイタリアの自分の出版社に言いました。『私はこの女性と話をしなければ』…。すると、彼女は私の近くに来て来て言いました。『私は原稿を持っています』。私は言いました。『原稿を読むことは弁護士に禁じられているんです。もし読めば、結局ひとつの文でも…。』」

ー彼らはあなたにそれを貸したと言い、お金を要求する、と私は言う。

「そうです、盗作と言われます。とにかく、彼女は原稿をホテルに残しました。その夜、私は何も読むものを持っておらず、そしてこの原稿を読み始めます。セックスについての本を書くことを、私は人生の目標のひとつとして常に持っていました。しかし、良い一筆を見つけることができませんでした。その原稿を読み、『ああ、彼女は娼婦なのだ。』とわかりました。」

ー彼女は今も?

「いいえ、もうそうではありません。彼女は結婚しています。」

彼らは、コエーリョが次にチューリッヒにいた際に会う手配をした。「彼女は言いました。『売春街に行ってみたいですか?』私は言います。『行きたくないわけがないでしょう。』」
コエーリョが開いたスイスの記者とのインタビュー、それからとった夕食の長い報告が続く。苦労して話について行きながら、夕食は娼婦と一緒にですか?と私は尋ねる。

「いやいやいや。」わずかな苛立ちで、私はもっと注意を払うべきだとわかる。「建築家と一緒に、です。」
夕食後、コエーリョは記者と建築家を連れ出す。
「『夜までにチューリッヒをお見せしましょう。でもあなたの期待することではありません。9時30分にこの娼婦が到着し、私たちはそれからラングシュトラーセ(売春街)へ行きます』。それから私たちはこのナイトクラブに行き、彼女は友人全員を連れて来ていました。娼婦と彼女たちのピンプだけがそこにいて、私たちはサイン会をやったのです!」

コエーリョが歓楽街に誘惑される話と思っていたことが、歓楽街がコエーリョに誘惑される話に変わった。

ーあなたの奥さんはどこにいたのですか?

「妻はブラジルにいました…。この時、電話で彼女と話しましたが、ご存知のとおり、マスコミに入り込んで彼女は言います。「だから何?あなたはローマ教皇でもあるまいし。』」

ーソニア(娼婦)は何歳でしたか?

「27か28歳。私は55歳でした。私たちは何も…おわかりでしょう。」

ーええ、わかりますよ。
私は彼を安心させる。

浮気についてではなく、コエーリョのあらゆる女性のファンについて、奥さんがどのように対処するのかを私は尋ねる。

「彼女はとても幸せです。私たちは結婚して30年です。私の人生で、これ以上大事にしているものはありません。」

ー"アルケミスト"の前に結婚したのですか?

「ずっと前に。すべての過程を通じて、彼女は私と一緒にいるのです。」

ー奥さんはとても信心深いのですか?

「妻はとても信心深い。私がクリスチャンに戻ったのは、彼女のおかげです。」

私は、彼の奥さんが教皇のことをどう思っているのか訊く。

「彼女の考えはわかりませんが、自分が教皇をどう思っているのかはわかります。」

ーどの教皇ですか?

「彼は宗教よりも政治に入れこんでいます…。ブラジル人で、貧しい人々を助けるために説教をしていたフランシスコ修道会の僧がいました。ラッツィンガー(訳注:記事が書かれた当時のローマ教皇ベネディクト16世の本名)は、この僧に1年間の沈黙の誓いをさせました。彼は大きな害を与えます。大きな害は原理主義によって与えられます。キリスト教でも、イスラム教でも。」

私は彼に同意する。パウロ、私たちは何をするべきでしょう?と私は尋ねる。私はあなたと同じように宗教気質です。私たちは、人生に対し本質的に宗教上の回答をもっています。私たちは狂った人々たくさん見ますが、非常に多くのもめごとにおいて、私は無神論者側にいます。

「私もそうだ!」彼は言う。「だが、アメリカがジョージ・ブッシュを生き延び、イングランドトニー・ブレアを生き延びたのと同じように、教会はこの教皇を生き延びるでしょう。」と轟くような笑い。

何百万人に知恵を分け与えているだけでなく、コエーリョは故郷のリオで偉大な善行をした。私は彼に、貧しいこども達の学校のために資金を蓄える慈善団体、パウロ・コエーリョ基金について尋ねる。

「ご存知のように、UKの賢い説教師の1人が、なんぴとも一島嶼にてはあらず(no man is an island)」と言いました。」

ジョン・ダンです、と私は言う。

「それで私は(自分自身に)言いました。『あなたは島ではない、あなたは参加するべきだ』。私は言いました。『私は祖国を変えられない…。だが、私の街の通りを変えることはできる。』私の通りの終わりにファヴェーラ(訳注:ブラジルではスラム街のこと)があります。ひどい状況があります。とても素晴らしいことをしているふたりの女性のところに行きました。考えがとても明確で、私は心を動かされました。『私たちはこどもたちの世話をすることができます。でも、こどもたちはここで眠ることは出来ません。皆は家に帰ります。そうすればこどもはプラスのエネルギーで家族全体を変えるでしょう。』もちろん、私たちはその範囲をさらに越えて、430人のこどもたちがいます。

「その女性たちは聖人です。私はここで、この美しい湖を眺めながら美しいレストランで食事をしていて、彼女たちはブラジルの貧しいこどもたちと一生懸命頑張っています。」

魚の小皿から最後のバターソースを平らげるとき、私は少し気がとがめる。コエーリョはゆで卵を食べ終えている。どう考えてもデザートはないが、彼はコーヒーに同意する。「あなたはわかっている」と彼は言う。「全ての記者がいつも私に尋ねることをあなたは尋ねなかった。それは、『成功の秘密を教えて下さい』です。もし秘密を知っていたら、私は全部を台無しにしたでしょう。」

私は、誰もが自分自身の運命を変えられるというアイディアが彼の成功の秘密ではないかという持論を述べる。私は、いかにこれをインチキと考えているかを彼に告げる。子持ちの40歳の工場労働者だったらと想像してほしい。単に逃げることも、人生を変えることも出来ないではないか。

彼は傷ついたように見える。そして、私の異説を検討するために男性用トイレに消える。彼が出て来ると、私たちは自治体の芝生の上でさよならを言い、彼は再び私の手をへし折る。彼が言うことは、ベストセラーランドという別の国があると私に思わせる。そこでは夢が実現するのだ。

「あなたは選べるのです。」彼は微笑む。「あなたの道に従いなさい。あなたはこの工場で働きます。それで、あなたはスカーレット・オハラのように順応しなければならない。彼女はカーテンを美しいドレスに変える。そうすれば、あなたは最善のことを成し遂げたことになる。そのとき、あなたは自分自身の王国の王になる。」

私は、車を走らせる彼を探すが、彼は植え込みを越えて歩き去り、急に走り出す。

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スイス、ジュネーヴ
ギュスターヴ・アドゥー埠頭 82番地
オークヴィヴ公園ホテルレストラン

ドライマティーニ×2 16.00スイスフラン
オレンジジュース   5.50スイスフラン
ゆで卵        24.00スイスフラン
タラの切り身     28.00スイスフラン
エビアンのハーフボトル 7.00スイスフラン
ピエ・ノワールのグラス 7.00スイスフラン
エスプレッソ・コーヒー×2 9.60スイスフラン

合計 97.10スイスフラン(60ポンド)

 

 

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