常に真実を語る嘘つき - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
常に真実を語る嘘つき
2010/5/11
パウロ・コエーリョ
ジャン・コクトーによる
真の詩人は、わざわざ詩的であろうとしない。種苗場の庭師がバラの香りを嗅がないように。
アーティストは、自分のアートについて語れない。植物が園芸を語れないように。
知恵の極限、それは人々が狂気と呼ぶものだ。
ほとんど全ての社会の本能は、本当に自由な人を牢屋に入れることだ。
最初に、社会はあなたを打ち負かそうとすることから始める。
これに失敗すれば、あなたに毒を盛ろうとする。
もしこれにも失敗すれば、あなたに名誉を与えて終止符を打つ。
詩人は賞賛を決して求めない。信用してもらいたいだけなのだ。
アートは、時間が経つにつれ、しばしば美しくなる醜いものを生み出す。
一方ファッションは、時間が経つにつれ、常に醜くなる美しいものを生み出す。
ありきたりな言葉を取り上げ、きれいにして磨き上げ、光を当て、本来の若さ、新鮮さ、オリジナリティー、おおらかさと同じ効果を生み出しなさい。そうすればあなたは詩人の仕事をしたことになる。残りは文学だ。
作品が時代の先を行っているように思える時、作品より遅れているのは時代だけだ。
人生の実際の悲劇は、その人の先入観とは無関係である。
結局のところ、その単純さ、そのデザインの壮大さ、それに内在する奇妙な要素によって人は常に当惑する。
人は神話の中に逃避しようとして、どんな手段も自由に使う。ドラッグ、アルコール、そして嘘だ。
自分自身の殻にこもることができず、自分自身を偽装する。
嘘と不正確がひとときの安らぎを与えてくれる。
私は常に真実を語る嘘つきである。