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兆候の探求 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

兆候の探求
2008/7/14
パウロ・コエーリョ

私達は時々、明日、人生が私達に提供するものは、今日した事の繰り返しだけだと考えるかもしれない。しかし、良く注意すれば、1日たりとも似た日はないとわかる。
朝がくる毎に、隠された祝福がもたらされる。;祝福はその日に特有のものであり、取っておいたり繰り返したり出来ないのだ。この奇跡を今日使わなければ、それは失われてしまう。

この奇跡は日常の小さなことの中にある。;そこにある全ての事は各問題の突破口であり、欠けたものを見つける手段であり、私達の将来全体を変える決断の適切な手がかりだという事を、私達は理解して生きなければならない。

しかし、そのための勇気をどうやって見つけるのか?私がそれを見るとき、神は兆候を通じて私に語りかける。それは個人的な言語で、完全に吸収するための信仰と訓練を必要とする。

例えば、聖アウグスティヌスはこの方法で改宗した。彼は何年も、様々な哲学の学校で、人生の意味を探し求めていた。ある午後、ミラノの自分の庭で、彼が自分の探求の間違いを振り返っていたとき、通りにいるこどもの声を聞いた:「取り上げて読むんだ、取り上げて読むんだ!」

いつも理論によって支配されて彼だったが、衝動的に、最初に手に取った本を読む事に決めた。
その本は聖書で、彼は、彼が探していた答えを含む聖パウロの部分を読んだ。それからずっと、アウグスティヌスの理論は、人生に参加する信仰への道を開き、彼は教会の最も偉大な神学者のひとりになっていった。

砂漠の修道僧が良く言うには、天使が行動することを許可するのが重要だという。このため、彼らは機会ある毎に不条理な事をした。例えば、訳もなく花に話しかけたり、笑ったり。
錬金術師は「神の兆候」に従った。それは、多くの場合には意味がわからないが、いつもどこかへ導いてくれる手がかりだ。

「現代人は人生の不確かさと疑いを昇華しようとした。そして、そうすることで魂は飢えて死にそうなままだ。;魂は神秘を食物とする。」ー聖フランシス大聖堂の学部長がそう言う。

それぞれの行動に理由をつける(一般的には1日に10分間)ことで成り立つ瞑想の訓練がある。

例えば:「私は今このブログを読んでいる。なぜなら、フェースブックツイッターのリンクを見たからだ。私は今、誰彼の事を考えている。なぜなら、私が読んだ題目のせいでそうなったのだ。私はドアまで歩いた。なぜなら私は外出するからだ。」というように。

仏陀はこれを「意識的な注意」と呼んだ。普通のルーチンを繰り返しながら自分を見ると、どれだけの富に囲まれて暮らしているかに気付く。各ステップ、各ふるまいを理解する。重要なものと役に立たない考えを発見する。

週末には(修行はいつでも根本的だ)、欠点と破壊により気付いている様になる。
しかし、時に、私達がやった事には意味がなく、衝動や直感に従っているということを理解することもある。;そして今、私達は、神が私達に本当の道を示すために使うこの沈黙の言語を理解し始める。

直感、兆候、本能、偶然、どんな名前でも良い。問題は「意識的な注意」を通して、私達はしばしば正しい決定に導かれていると気付く事だ。

そしてそれが、私達をより強く、より自信あるものにする。

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