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退却術 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

退却術
2015/2/25
パウロ・コエーリョ

自らの知力を信頼し過ぎる光の戦士は、敵の力を甘く見てしまう。

忘れるべきでないのは、強さが先見の明よりも効果的なときがあるということ。そして我々がある種の暴力に直面した時には、明晰さも、話し合いも、知性や魅力も、悲劇を妨げることは出来ない。

だから戦士は、馬鹿力を決して甘く見ないのだ。それが見境なく 攻撃的なとき、敵がエネルギーを使い果たすまで、彼は戦場から退却する。

しかし、完全にはっきりさせることは、光の戦士は決して臆することがないということ。逃亡は守備の素晴らしい手法になり得るが、大きな怖れがある時には利用出来ない。

疑う局面で、戦士は敗北を受け入れてケガの処置をすることを好む。もし逃げれば、攻撃者に彼以上の大きな力を与えることになると知っているからだ。

彼は肉体的な苦しみは癒せるが、精神的なもろさのために絶え間なく迫害されるだろう。困難や苦難があるとき、戦士は英雄的行為、忍従、勇気が不利になる状況に直面する。

必要な精神状態になるためには(彼は、不利でおそらく苦しみの多い戦いに入っているのだから)、何が己の害になるのかを戦士は正確に理解するべきだ。日本の茶道に関する著書で岡倉覚三はこう言っている。:

「私たちは他人の悪を見る。なぜなら、己の行為を通じて悪を知っているからだ。
私たちは己を傷つける者を決して許さない。なぜなら、己が決して許されることがないと信じているからだ。
私たちは隣人が聞きたくない真実を言う。なぜならば、それを己から隠したいからだ。
私たちが己の力を見せるのは、自らのもろさを誰にも見えないようにするためだ。」

「だから、同胞を裁くときにはいつも、裁かれているのは自分だということを知っておきなさい。」

時々この知識は、不利しかもたらさない戦を阻止することができる。しかし、別のときには、逃げ場はなく、不公平な戦いしかないこともあるのだ。

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