世界最重要の1冊が書かれることになった経緯 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
世界最重要の1冊が書かれることになった経緯
2017/4/6
パウロ・コエーリョ
老子は他人というものを知っている。
趙が統治して23年後、老子は、戦が最終的に彼の生きる場所を破壊することに気付いた。
人生の本質について長年の瞑想をしていたので、実践的にならなければならない時があることを彼は知っていた。彼は最も簡単で可能な決定をした。:移動すること。
彼はわずかばかりの持ち物を持ち、漢口(ハンコウ)に向けて出発した。街を去るとき、彼は門番に会った。
「あなたが行くような偉い聖人はどこに行かれるのですか?」と門番は尋ねた。
「戦争から遠いどこかだ。」
「そのようにただ出て行くことはできません。私は、何年も瞑想した後であなたが学んだことを知りたいのです。もしあなたが知っていることを私と共有すれば、私はあなたを行かせるでしょう。」
単にその男を追い払うために、老子はそこに薄い本を書き、そのうちの1部を門番に与えた。そして彼は自分の道を行き、再び彼の噂が聞こえることはなかった。
老子の本のコピーは更に作られ、それは何世紀もの時を越え、1000年を超え、現在まで残った。それは「道徳経」と呼ばれ、非常に簡単で、本質的な書物だ。そのページからここにいくつかの例をあげよう。:
道を守る者は意思を持っている。
謙虚であれば、全体のままでいるだろう。
頭を下げれば、下っ端のままだろう。
自分を空っぽにすれば、満たされたままでいるだろう。
自分を脱ぎ捨てれば、新しいままでいられるだろう。
賢者は自分をひけらかすことがなく、そのため光り輝く。
彼は自分自身に注意を惹き付けず、そのために気付かれる。
彼は自慢をせず、そのために価値がある。
そして彼は競わないので、世界中の誰も彼と競争出来る者はない。