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2分間の読み物:ヘンリー・ミラーの未亡人との面会 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

2分間の読み物:ヘンリー・ミラーの未亡人との面会
2019/6/19
パウロ・コエーリョ

日本の記者は私にいつもの質問をする:
「それで、あなたの好きな作家は誰ですか?」私はいつもの返答をする。「ジョルジェ・アマード、ホルヘ・ルイス・ボルヘスウィリアム・ブレイク、そしてヘンリー・ミラーです。」

通訳は驚いて私を見て、「ヘンリー・ミラーですか?」と言う。だが、自分の役目は本題から脇道に逸れないことだと、彼女は直ぐに気がつき仕事に戻る。インタビューの最後に、私の返答に彼女がなぜそれほど驚いたのかを私は知りたいと思う。

「私はヘンリー・ミラーを批判しているわけではありません。私も彼のファンなのです。」と彼女は答える。「彼が日本人女性と結婚していたことを知っていますか?」
「はい。」:私は敬愛する人物の狂信的信者であり、その人物の人生すべてを知ろうとすることを恥だと思わないのだ。

私は、ジョルジェ・アマドを知るためにブックフェアに行った。ジョルジェに会うためだけに、48時間バスに乗った(結局、自分のせいで彼を知ることは出来なかった。彼に会った時、私はフリーズして何も言えなかったのだ)。私は、ニューヨークのジョン・レノンの自宅のドアベルを鳴らした(ポーターは私に訪問の理由を説明する手紙を残すように求め、レノンがおそらく電話するだろうと言った。だが、それは起こらなかった)。私は、ビッグ・サー(訳注:アメリカのロサンゼルスにある、景観が美しいことで有名な場所)でヘンリー・ミラーに会おうと計画を立てていたが、私が旅費を集める前に彼は亡くなった。

「日本人女性の名前はホキです。」私は誇らしげに答える。「東京にミラーの水彩画に捧げた美術館があることも知っています。」
「今夜、彼女に会いたいと思いませんか?」
しかし、なんという質問だろう!私のアイドルのひとりと暮らした人物と、もちろん近づきたい。
彼女は、世界中からの訪問者とインタビューの申し込みを受けているにちがいないと私は想像した。結局のところ、彼らはほぼ10年間一緒に過ごしたのだ。

陸橋が上に架かっているので、おそらく太陽が決して当たらような通りに、私たちは止まった。古い建物の2階にある平凡なバーを通訳は示した。

階段を上がり、完全に空のバーに入ると、ホキ・ミラーがいる。私は、彼女の前夫に関する熱意を誇張して驚きを隠そうとする。
自分で小さな美術館を作った後ろの部屋に、彼女は私を連れて行く。何枚かの写真、署名のある2、3の水彩画、サイン本のほかには何もない。

彼に出会ったのは、彼女がロサンゼルスで修士号を取り、生計のためにレストランでピアノを弾きながらフランスの歌を(日本語で)歌っているときだったと彼女は話す。ミラーは夕食をとるためにそこに行き、その歌を気に入った(彼は人生の大部分をパリで過ごしていた)。彼らは数回外出し、彼が彼女に結婚を申し出た。

彼らの共通点について。年の差から生まれた問題について(ミラーは50歳を過ぎていて、ホキは20歳になっていなかった)。一緒に過ごした時間の喜びを彼女は話した。本の権利を含んだすべては、他の結婚からの相続人が手に入れたといういことだ。だが、彼女にとってそのことは重要でなかった。彼と一緒に暮らしたことは財政的な埋め合わせを越えていたからだ。

何年も前にミラーの注意を惹いた音楽を演奏して欲しいと、私は彼女に頼む。彼女は目に涙を浮かべながらそれをし、「枯葉」を歌う。

バー。ピアノ。空っぽの壁に反響する日本人女性の声。前妻としての栄光について、ミラーの本が作り出したであろうお金の川について、彼女が今日楽しむことが出来たであろう世界的名声について気にすることなく。

「相続のために戦うことは価値がありませんでした。彼の愛で私には十分だったのです。」私たちが感じたことを理解し、最後に彼女はそう言う。
そう。彼女の声には憎しみと怨みが微塵もなかった。だから愛で十分であったのだと私は理解する。

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