白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

勝者はひとり立つ:第9章 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

勝者はひとり立つ:第9章
"The Winner Stands Alone" Chapter 9
2009/2/24
パウロ・コエーリョ

彼女の携帯電話が鳴った。

...誰も応答しない。

それは鳴り続けた。

彼女は、タバコ屋とチョコレートを食べている女の子を見つめながらまだ時間をさかのぼって旅していた。そしてやっと空想から出てきて、起こっていることに気付き電話に出た。

相手側の声は、彼女に2時間以内にオーディションを受けるようにと言っている。

オーディションに出るのだ!

それもカンヌで!

海を渡った価値があったのだ。彼女は、全部のホテルが満室の街に到着し、彼女と全く同じ立場の若い女性に空港で出くわした(ポーランド人1人、ロシア人2人とブラジル人)。そして、彼女たちはシェアすることになったとんでもない高額のアパートを見つけるまでドアをノックしながら歩き回ったのだ。彼女はシカゴで運を試し、より多くのエージェント、より多くの宣伝、より多くの拒絶を求めて時折ロサンゼルスに旅行した。その全ての年月の後で、彼女の将来はヨーロッパにあるとわかったのだ!

2時間以内?

路線を知らなかったのでバスには乗れなかった。彼女は険しい丘の上の高台に滞在していて、これまでに2回しか降りたことがない。それは、彼女の「本」のコピーを配ったときと、夕べのあのくだらないパーティーに行ったときだった。どちらの機会にも、丘の麓に着いた時に完全に見知らぬ人からヒッチハイクで車に乗せてもらった。相手はいつも巨大なオープンカーに一人で乗った男性だった。カンヌが安全な場所だと皆知っていた。そして、女性は皆、乗せてもらうのに美人であることが助けになるということを知っていた。だが彼女は今回、成り行きに任せることができず、自分で問題を解決しなければならない。
オーディションは厳密なスケジュールに従い、それはどんな俳優事務所でも最初に学ぶことのひとつだ。交通はほぼ恒久的に立ち往生しているということは、カンヌでの初日に気がついていた。だから彼女に出来ることは、服を着てすぐ出発することだけだった。彼女は1時間半でそこにいるだろう。プロデューサーが滞在していたホテルを思い出したのだ。いくつかのチャンス、いくつかの始まりを求めて彼女が昨日歩いた「巡礼の道」の途中にそれはあった。

現在の問題は何を着るべきかだ。

彼女は持って来たスーツケースを見つけ出し、アルマーニジーンズを選んだ。中国製で、シカゴの闇市で実際の5分の1の値段で買ったものだ。誰も偽物だと言えない。なぜならそうではないからだ。誰もが知っていることだが、中国の製造業者は製品の80%をオリジナルの店に送り、残りの20%は労働者の副業として売却される。それはなんと言うか、過剰在庫、生産過剰なのだ。

彼女は、ジーンズよりも高価だった白いDKNYのTシャツを着ていた。彼女の信念に忠実に、服は目立たないほど良いということはわかっていた。短いスカートはだめ、襟元が大きく開いたものはだめ。なぜなら、他の女性がオーディションに招かれていた場合、彼女たちが着るものはそれだからだ。

メイクについては確信がなかった。最終的に、彼女はとても淡いファンデーションと、さらに淡いリップライナーを塗ることにした。彼女はすでに貴重な15分間を失っていた。
午前11時45分。

人々は決して満足する事がない。少ししか持っていなければ、もっと欲しがる。たくさん持っていれば、さらにもっと欲しがる。少しで幸せになれることを願うが、一度もっと持つと、その方向に最低限の努力をすることができない。

幸せがいかに単純かをただ彼らが理解していないだけなのか?たった今過去から駆けつけたジーンズと白いTシャツを着た女の子が望めるものはなんだろう?素敵な晴れた日、青い海、ベビーカーの中の赤ちゃん、ビーチを縁取るヤシの木のことをゆっくり眺めるのをやめるほど、何をそれほど急ぐことがあるのだろう?

「こどもたちよ、急がないで!人間の一生で、ふたつの最も重要な存在をあなたは決して逃れることがないだろう。それは神と死だ。神は一歩ごとに同伴し、あなたが人生の奇跡に気を留めていないのがわかって悩まされるだろう。それどころか死についても、あなたはただ死骸を走り過ぎただけで、気がつくことがなかった。」

イゴールは、犯罪現場をもう何度も行き来した。ある時点で、行き来すると疑いを招くかもしれないと気づいたので、ビーチ中を見渡す手すりにもたれ、現場から用心深く200ヤード離れていることにした。彼は濃いサングラスをかけていたが、それには怪しいところはなかった。晴れた日だからというだけでなく、カンヌのような有名人の街では、濃いサングラスはステータスと同義だからだ。

ほぼ正午だ。彼は驚いた。この時期、世界の注目の的となっている街のメインストリートに死んで倒れている人物がいるのに、まだ誰も気がついていないのだ。

今、一組のカップルがベンチに近づいている。目に見えて苛立っているようだ。彼らは眠れる美女に大声を上げ始める。彼らは女の子の両親で、彼女が仕事をしていないので怒っているのだ。その男が彼女をほとんど暴力的に揺する。それから女はかがみ込んでイゴールの視界を覆い隠す。

イゴールは次に何が起きるかわかっている。

母親は叫ぶ。父親はポケットから携帯電話を取り出して離れる。明らかに動揺している。母親は娘の反応のない体を揺さぶっている。通り過ぎる人は立ち止まる。今、イゴールは濃いサングラスをはずし、興味本位の見物人のひとりとして彼らに加わることが出来る。

母親は娘にしがみついて泣いている。若い男が、そっと母親を押しのけてマウス・トゥ・マウスで蘇生を試みるがすぐに諦める。オリビアの顔はすでに、わずかに紫色に色づいている。

「誰か救急車を呼んで!」

何人かが同じ番号をダイヤルする。彼らは皆、自分が役に立ち重要で、思いやりがあると感じている。イゴールにはすでに遠くのサイレンの音が聞こえる。母親の悲鳴は次第に大きくなっている。若い女性が腕を回して慰めようとしたが、母親は彼女を押しのけた。誰かが彼女の体を起こそうとするが、他の誰かがまた寝かせておくように言う。なぜなら何をやっても手遅れだからだ。

「たぶんドラッグの過剰摂取だ。」彼の隣の人物が言った。「最近の若者はだめだ。」

言葉を聞いた人々は物知り顔でうなずく。救急救命士が救急車から機器を降ろしているのを見ている間も、イゴールは冷静なままだ。オリビアの心臓に電気ショックが用いられる。何も言葉を発さずに、より経験豊富な医師がそばに立っている。できることは何もないと彼は知っているけれども、同僚が手抜きで訴えられることを望んでいないからだ。彼らはオリビアの体を担架に載せて救急車に積み込む。母親はまだ娘にしがみついている。短いやり取りの後、彼らは母親も同乗させ、救急車はスピードを上げて去った。

カップルが死体を発見し、救急車が去るまでわずか5分しかかからなかった。父親は愕然としてまだそこに立ち、行くべきところもやるべきこともわかっていない。話しかけている相手が誰かも忘れ、薬物の過剰摂取について意見したのと同じ人物が父親の方へ行き、自分なりの解釈を伝える。:

「ご心配ありませんよ。この類いのことは、この辺りでは毎日起きていますから。」

父親は応答しない。まだ携帯電話を握ったまま宙を見つめている。意見を理解してないのか、またはそれが毎日起きているということがわからないのか、あるいはショック状態のために、苦痛が存在しない未知の次元にすぐに行ってしまっている。

群衆は、現れた時と同じくらい早く散る。
ふたりだけが残っている。:父親はまだ携帯電話を掴んでいて、男は濃いサングラスをはずして手に持っている。

「女の子を知っていたのですか?」イゴールは尋ねる。

返事はない。

他の皆がやるように、クロワゼット大通りを歩き続け、この晴れた朝のカンヌで起きている他のことを見るのが最善だ。女の子の父親のように、自分が感じていることをイゴールは完全にはわかっていない。もしたとえ、世界中の全ての力を持っていたとしても、決して再建出来ない世界を彼は破壊したのだ。エヴァにはその価値があったのか?オリビアという若い女性の子宮から(彼女の名前を知っているという事実はイゴールをとても悩ませる。それは、彼女がもはや群衆の中のただのひとつの顔ではないということを意味するからだ)、癌の治療法を発見し続けるか、または世界が最終的に平和に暮らせることを保証する合意を起草する天才が生まれたかもしれないのだ。1人だけでなく、彼女から生まれていたかもしれない将来の全世代を、彼は破壊した。彼がやったことは何か?愛は、偉大でもあり激しくもあるが、それを正当化するのに十分なのだろうか?

最初の犠牲者として彼は誤った人物を選んだ。彼女の死は決してニュースになることはなく、エヴァはメッセージを理解しないだろう。

考えるな、もう終わったことだ。これ以上のことを進めようと準備したのだから続けろ。女の子は、自分の死は無駄ではなく、より偉大な愛の名における犠牲だということを、理解するだろう。周りを見回し街で起きていることを見て、普通の市民のように振る舞うのだ。この人生ですでに苦しみを公正に負担している。だから、今は少しだけ平和で快適でいて良いのだ。

フェスティバルを楽しめ。このために準備してきたのだから。

 

 

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