白い部屋

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勝者はひとり立つ:第8章 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

勝者はひとり立つ:第8章
"The Winner Stands Alone" Chapter 8
2009/2/20
パウロ・コエーリョ

彼女はコーヒーを飲み、自分が不機嫌なことを理解し始める。彼女は地球上で最も美しい女性たちに囲まれている!確かに、自分で醜いとは思っていないけれど、彼女たちと競争出来るわけがない。どうするのか決めなくてはならない。この旅行に立つ前、長いこと真剣に考えた。お金はギリギリで、契約を結ぶ時間はそれほどない。最初の2日間はいろんな場所に行って、履歴書のコピーと写真を配った。だが、成果は夕べのパーティーの招待状だけだった。そこは安っぽいレストランで、大音量で音楽がかかり、そしてスーパークラスに属する人物には誰にも会えなかった。自制心を取り除くために彼女は必要以上にお酒を飲み、最後にはどこで何をしているのか自分でもわからない状態だった。彼女には全てが奇妙に思えた。ヨーロッパ、皆の服の着方、異なる言語、インチキなバカ騒ぎ。同じ古い音楽を聴き、他人の生活や、有力者が弱者に行う不正について叫んで会話しなければならない全く無意味なこの場所ではなく、本当は全員、もっと重要なイベントに招待されることを望んでいた。

ガブリエラは、不正と言われるものについて話をするのにうんざりだった。単純にそうだからそうなのだ。彼らは選びたい人を選び、誰に対しても自分自身を説明する必要がない。だから彼女が計画が必要なのだ。同じ夢を持つたくさんの若い女性は(もちろん、彼女程才能があるわけではないが)、履歴書と写真を持って歩き回る。だから、フェスティバルに来るプロデューサーにはポートフォリオ、DVD、名刺が殺到するにちがいない。

彼女を目立たせるのは何か?

考えなければならない。このようなチャンスはもうないだろう。主な理由は、彼女はこの旅行に貯金を全てつぎ込んだから。そして、(最も恐ろしいのは)彼女は年をとっているから。彼女は25歳。これが最後のチャンスだ。

コーヒーを飲んでいる間、彼女は小さなキッチンの窓から、下にある行き止まりの道を見ている。彼女に見えるのはタバコ屋とチョコレートを食べている小さな女の子だけ。そう、これは最後のチャンス。最初のチャンスとはすっかり違う結果になることを彼女は願う。

11歳の時を思い出す。彼女はシカゴで最も学費の高い学校のひとつで、最初の演劇に出演した。彼女のその後の成功願望は、父親、母親、親戚、先生たち観客から受けた満場一致の喝采から生まれたものではなかった。それからは程遠かった。「不思議の国のアリス」の狂った帽子屋を彼女は演じた。たくさんの男の子女の子と一緒にオーディションを受けて役を掴んだ。劇の中で最高の役のひとつだ。

彼女の最初の台詞はこうだ。:
「あなたの髪の毛が切ってもらいたがっているよ。」
そしてアリスが答える。:
「あなた個人的な意見はしないことを学ぶべきよ。すごく失礼じゃないの。」

リハーサルにリハーサルを重ね、長く待ち続けたときが来た。彼女はひどく緊張していたので、台詞を間違えて代わりにこう言った。:
「あなたの髪が洗ってもらいたがっているよ。」
アリスを演じていた少女は、いずれにしろ次の台詞を言った。間違えたことに気付いたガブリエラがすぐにしゃべれなくなっていなければ、観客は間違いに気づくことはなかっただろう。狂った帽子屋は場面を続けるために不可欠な登場人物で、こどもたちはステージ上で即興するのが得意でないので(現実の生活では充分楽しく即興をするのだが)、どうすれば良いのか誰にもわからなかった。
長い数分の間、役者たちがただお互いを見つめ合った後、先生が拍手し始め、幕間なのでステージを降りるようにと皆に指図した。

ガブリエラはステージを去っただけではなく、涙ながらに学校を去った。次の日、狂った帽子屋の場面がカットされたことがわかった。代わりに役者たちは女王とのクロケットの試合に進む。先生は、不思議の国のアリスはどちらにしろとてもナンセンスなので、これはたいした問題ではないと言った。だが休み時間、他の女の子や男の子は徒党を組んでガブリエラに敵対し、彼女を殴り始めた。

これはそれほど珍しいことではない。まったくよくあることだ。同じくらいのエネルギーを使って身を守ることを学ぶと、彼女はより弱いこどもを次々に攻撃した。しかしこのとき、彼女は声も漏らさず涙も流さずに殴った。彼女の反応はとても意外だったので、ケンカはまったく長引かなかった。クラスメイトは、彼女が悲鳴を上げたり泣き叫んだりすると予想していたのに、彼女がそうしなかったので急速に関心を失った。一発毎にガブリエラは考えていた。:

「いつか偉大な女優になってやる。そのときあなたは後悔するのよ。」

こどもは人生で何をしたいのかを決めることが出来ないと誰が言ったのだろう?

大人だ。

大人になると、私たちは自分がいつでも正しく賢いと本当に信じる。多くのこどもたちは、狂った帽子屋や眠れる森の美女やアラジン、アリスの役を演じるのと似た経験を確実にしてきていて、そこですぐスポットライトと拍手を放棄することに決めた。けれどもガブリエラは、これまで闘いに敗れたことがなかった。彼女は学校で最もきれいで、最も頭の良い生徒で、常にクラスで最高の成績をとったのだ。すぐにやり返さなければ負けるだろうということを、彼女は直感的に知っていた。

クラスメートから殴られても彼女はやられたのと同じくらい仕返すことができた。けれど残りの人生の間、劇の失敗を取り扱うには全く別の対処が必要だった。
学校劇での台詞の言い間違い、皆と同じように踊れないこと、または細すぎる脚や大きな頭について言いふらされる無礼な言葉などは、皆が知っているように、すべてのこどもたちが我慢しなくてはならないことだ。それは根本的に異なるふたつの結果につながる可能性がある。

一部のこどもは復讐を選び、他の人が不可能だと考えても、それを本当に得意にしようとする。「いつかあなたは私を羨しがるだろう。」と考える。

しかしながら大抵のこどもは、自分の限界を受け入れ、それで物事はますます悪くなる。彼らは不安定で従順に育ち(自由になってやりたいことを何でもできるようになる日を夢見ているけれど)、結婚して他の子が言う程醜くないということを証明する(心の奥ではまだ自分のことを醜いと信じているが)。こどもを持って誰にも生殖能力がないと言わせないようにする(どちらにせよこどもを望んでいたけれども)。良い服装をして誰にもダサイと言わせないようにする(人はどのみちそう言うと知っているけれども)。

翌週までに、劇の事件は学校の皆に忘れられていた。だが、ガブリエラは決心した。いつか世界的に有名な女優になったとき、秘書、ボディーガード、カメラマン、ファンの群れを伴って学校に戻ろうと。貧しいこどもに不思議の国のアリスを披露し、それはニュースになるだろう。そして彼女のこども時代の友人たちは言うのだ。:

「かつて彼女と同じステージに立ったことがあるのよ!」

母親は彼女が化学工学を学ぶことを望み、高校を卒業するとすぐに、両親は彼女をイリノイ工科大学に送った。昼間、彼女はタンパク質経路とベンゼンの構造を研究した。しかし、夜はイプセン、カワード、シェークスピアと一緒に過ごし、服と教科書を買うために両親が送ってくれたお金を費やして演劇コースに出席した。彼女は最高のプロに訓練を受け、優秀な先生に恵まれた。良い評価と推薦を受け、ロックグループのバックコーラスやアラビアのロレンスの劇でのベリーダンサーとして(両親の知らないところで)パフォーマンスした。与えられたどんな役でも受け入れるのはいつでも良い考えだった。観客の中に重要人物か、初めての本当のオーディションに招待してくれる人物がいて、スポットライトの中に居場所を持つための彼女の苦闘をすべて終わりにしてくれるチャンスが常にあるのだ。

何年か経った。ガブリエラはTVコマーシャルを作り(歯磨き粉の宣伝)、いくつかのモデル仕事をやった。そして、実業家にコールガールを提供することを専門にしたグループからの勧誘に応じようとまでした。合衆国のあらゆる主要なモデルと俳優の事務所に送るのにふさわしい書類を作成するため、ガブリエラは本気でお金が必要だったからだ。幸運にも、神様(彼女は信仰を失ったことがない)は彼女を守護した。その同じ日、シカゴ『L』の高架下で撮影されていた日本人歌手のビデオのエキストラとしての仕事をもらったのだ。彼女は予想以上の給料を受け取った(どうもプロデューサーは外国人キャストの報酬として大金を請求していたようだった)。その臨時収入で、彼女は生命線となる写真帳(または世界中のどの言語でも知られているように『本』)を作ることができ、それもまた想像よりずっと高くついた。

月日は飛ぶように過ぎ始めたというのに、彼女は、キャリアのほんの始めだといつも自分に言い聞かせていた。演劇コースにいる間、ハムレットのオフィーリアの役に選ばれていた可能性もあった。でも大抵、人生は彼女にデオドラントや美容クリームの宣伝しか提供してくれなかった。自分の「本」や先生、友人、同僚からの推薦状を見せに事務所に行けばいつでも、待合室は彼女そっくりの女の子でいっぱいだった。彼女たちは皆微笑みながら、互いに憎み合っている。プロが言うところの「認知度」を得るためにできることならなんでもやる。

順番が来るまでに何時間も待ち、その間、瞑想と肯定的な考え方についての本を読む。誰か(男性又は女性)の向かいに座り、その人は手紙を無視して直接写真に行き、結局そのどちらにもコメントしないで終わる。彼らは彼女の名前を書き留める。時々、彼女はオーディションのために呼ばれ、10回に1回位は成果がある。そこで彼女は再び、すべての才能をもって(もしくは彼女がそう思って)、カメラとたくさんの無作法な人々の前に立つ。彼らはいつも彼女にこう言う。:「リラックスして笑って、右を向いて。顎を少し落として、唇をなめて。」その結果、新ブランドのコーヒーの写真が出来上がる。

彼女が呼ばれなかったときには何が起きたのか?彼女は拒絶されたように感じたがすぐに受け入れ、それが必要な経験であり、忍耐と信仰のテストだとみなすようになった。演劇コース、推薦状、小規模の劇場での脇役を載せた履歴書は全く役に立たないという事実を受け入れるのを彼女は拒んだ。

 

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