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学習性無気力について - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

学習性無気力について
2011/4/12
パウロ・コエーリョ

1967年ペンシルベニア大学で、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンは、学習性無気力の基礎実験と理論の構築を始めた。彼は元々鬱に関心があり、その興味の拡張だ。

人間は、例えば、虐待の関係から立ち去るか、ストレスの多い仕事を自発的に辞めることができなければならない。
だが、学習性無気力として知られている心理学的な状態において、自分の状況をより良い方向に変える力が全くないとその人が感じる可能性がある。
学習性無気力は、深刻な鬱や極端に低い自己評価にしばしば繋がる。

学習性無気力は、困難や虐待的な状況を切り抜けるために一部の人々が採用するメカニズムとして考えることが出来る。
虐待されたこどもや配偶者は、やり返したり逃げたりしても無駄だとわかってからは、受動的かつ自分の虐待者に迎合したままでいることを結局学ぶかもない。

システムの枠から出ないよう訓練を受けることで学習性無気力は引き起こされる。システムは家族だったり、コミュニティーだったり、文化だったり、伝統だったり、職業や制度かもしれない。

システムは、初めのうち、明確な目的のために発達する。しかし、進化するうちにだんだんと、システムの継続に役立つ信念、展望、行動、タブーなど、あちこちを組織化する傾向が強くなる。本来の目的の認識は弱くなり、システムは自動的に機能し始め硬化する。

虐待された母が夫の命令に受動的に従うのを見ている娘の場合のように、一部の専門家は、学習性無気力は観察によって伝わる可能性があると提言する。娘は、受動性と自尊心の低さが結婚生活で「普通に」要求されると考え始めるかも知れない。そうして、学習性無気力の環は恒久的なものとなる。

怠慢によるこどもの虐待は、学習性無気力の兆候になり得る。両親が、幼児を泣き止ませることができないと信じているとすると、こどものためになんとかしようとするのを簡単に諦めるかもしれないからだ。

社会的環境での学習性無気力の別の事例は、孤独と内気に関係する。極端に内気だったり、受動的、心配性だったり、落ち込みやすかったりする人たちは、不快な社会的経験に確固とした説明を提供するために無気力であることを学ぶかもしれない。

第3の例は加齢だ。高齢者は自分が無気力であることを学び、友達や家族を失うこと、仕事と収入を失うこと、年を取りること、弱ることなど、自分ではコントロール出来ないと結論する。


原文:http://paulocoelhoblog.com/2011/04/12/helplessness/