白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

20年後:フランシスコ - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

20年後:フランシスコ
2006/6/10
パウロ・コエーリョ

スペインのナバラ州にある、家がほとんどない小さな村。
巨大な城を望むホテルのテラスで、私はコーヒーを飲んでいる。夜が訪れたが月は出ていない。
初めてこの道を旅した20周年を記念するため、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道を再び私は車で辿っている。

しかし、私が居る村は巡礼路の一部ではなく、その道からは約19キロ離れている。訪問することを計画し、この村にいる。
500年前、フランシスコという男がこの場所で生まれた。城を囲むこの原っぱで、彼はたくさん遊んだにちがいない。このそばを流れる川で彼は泳いでいたにちがいない。彼は裕福な両親の息子で、有名なパリのソルボンヌで学業を修めるためにこの村を出た。それは彼にとって初めての長い旅だっただろう。

フランシスコは運動が得意で、見た目が良く、頭脳明晰で、他のあらゆる生徒から羨望を受けていた。だが、1人を除いては。その彼は同じ遠方のスペインの地方出身で、名前をイグナチウスと言った。イグナチウスは彼に言った。:「フランシスコ、君は自分自身のことを考え過ぎる。別のことを考えるのに専念してはどうだい?たとえば神のような」。
私にはなぜだかわからないが、ソルボンヌで最もハンサムで勇敢な生徒フランシスコは、イグナチウスに説得される。彼らは他の生徒と集まる。そして、他の全員が、彼らが会合をする部屋のドアにこう書いた人物でさえも笑ってしまうような名前の会を設立した。その名もイエズス会。気分を害することなく、彼らは名前を採用する。そのときから、フランシスコは引き返すことのない旅を始める。

フランシスコはイグナチウスとローマへ行き、その「会」を承認するよう教皇に求める。教皇は学生たちに会うことに同意し、彼らを鼓舞するために合意を与える。フランシスコ(彼は船と海を死ぬ程怖がっていたが)は東洋に1人で出発し、彼が使命と考えたことに入れ込んだ。続く10年で、彼はアフリカ、インド、スマトラモルッカ諸島、日本を訪問した。彼は新しい言語を学び、病院、刑務所、街や村を訪問する。彼はたくさんの手紙を書くが、1度も ー絶対的に1度もーそれらの場所の「観光」のスポットに言及しない。彼は、より特権を持たない人々へ励ましと勇気の言葉をもたらす必要性についてしかコメントしない。

彼は、今私が座ってコーヒーを飲んでいる村から遠く離れて亡くなり、ゴアに埋葬される。
世界が広大で、距離はほとんど乗り越えがたく、人々は戦争に生きていたころ、フランシスコは世界を地球規模の村と考えるべきだと思った。彼は海と船と孤独の恐怖を克服した。彼の人生が意味を持っていることに気付いていたからだ。フランシスコの経験は決して忘れられることなく、植えたものは全て実を結ぶということを東洋を旅しているときの彼は知らない。この全ては彼の個人的な伝説で、人生を導くために選んだ道だからこそ行っているのだ。

500年後、インドのアーメダバードの街で、先生が生徒にフランシスコの伝記を書かせる。1人の男の子がこう書く。:「彼は偉大な建築家でした。なぜなら、東洋中に彼が建てた学校があって、それに彼の名前がついているからです。」

それらの大学のひとつを監督するアントニオ・ファルセスは、ふたりの人がおしゃべりしていたことを私に伝える。:

「フランシスはポルトガル人だったんですよ。」1人が言う。

「ちがいますよ。彼はこのゴアで生まれ、埋葬されたんですよ。」もう1人が答える。

どちらも間違っているが、どちらも正しい。:フランシスコはナバラの小さな村の出身だ。だが、彼は世界の男であり、誰もが彼を自分達の仲間のひとりとみなした。彼は学校の建設を専門とした建築家ではなかった。彼の最初の伝記作家のひとりが言うように、「彼は太陽のようだった。それは通過するところにはどこでも光と熱を広めずには先へ進むことが出来ないのだ。」

私はフランシスコを思う。彼はここを出発し世界を旅し、多くの人が彼の姓だと信じているこの小さな村の名前を多くの場所に広めた。自らの怖れに直面し、夢のためにすべてをあきらめた。
(このことが手本となり、私に霊感を与え役立っているのかも知れない。私はいわゆる「イエズス会」またはS.J.またはジェスイット・スクールを呼ばれる大学のひとつで勉強したのだ。)

私はここ、ザビエルの村にいる。フランシスコとイグナチウス(イグナチウスはロヨラと呼ばれた別の小さな村の出身だった)は、同じ1622年3月12日に列聖された。その朝、バチカンの壁に横断幕が掲げられた。:

聖フランシスコ・ザビエルはたくさんの奇跡を行った。しかし、聖イグナチウスの奇跡はさらに偉大であった。ーフランシスコ・ザビエル

原文:http://paulocoelhoblog.com/2006/06/10/what-the-path-means/