20年後:バイカル湖で - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
パブロ・ピカソの言葉:「神はとりわけて芸術家だ。彼はキリン、ゾウ、アリを発明した。実際、神は決して様式に従おうとはしなかった。単純に自分がやりたいことをやり続けたのだ。」
私たちが歩みたいのは、道をつくることだ。だが、夢に向かって旅を始めるとき、まるで全てを正しくやる義務があるかのように、私たちはとても怖れている。
結局、誰もが異なる命を生きているのなら、「全て正しい」という標準を発明したのは誰だったのか?
神がキリン、ゾウとアリを作ったのなら、私たちが神の化身として、似姿として生きようとするべきなら、なぜ手本に従う必要があるのだろうか?
ときに手本は、他の人が既に犯した愚かな過ちを、私たちが繰り返さないよう手助けしてくれる。だが通常は、皆がやることを私たちが常に繰り返すよう義務づける刑務所だ。
筋を通すとは、靴下に合うネクタイをいつも身に付ける必要があるということ。
それは、今日の意見を明日も維持するよう強いられているということだ。
それなら世界が動く方法は?
誰かが傷つかない限り、折に触れてあなたの意見を変えなさい、そして恥ずかしがらずに自己に矛盾しなさい。これはあなたの権利だ。他人がどう思うかは関係がない。どちらにせよ、他人はあなたが矛盾していると思うのだから。
::::
行動すると決めたとき、いくつか余分なことが生じる。
昔の料理人がこう言うように:「オムレツを作るには、まず卵を割らなくてはならない」。予期せぬ戦いが起こるのもまた当然なのだ。
それらの闘いの間、傷つくのは当然だ。その傷は治り、傷跡だけが残る。
それは祝福だ。それらの傷跡は残りの人生の間も共にあり、大きな助けになる。
(自己満足か他の理由で)過去に戻りたいという願いが偉大なら、いつ何時でも、あなたの傷跡を見なさい。
傷跡は手錠の印を見せてくれる。傷跡は刑務所の恐怖を私たちに思い出させる。そうして私たちは前に進みつづける。
::::
だから、リラックスしてください。あなたの周りの動き全てを宇宙に任せて、自分自身に驚く喜びを発見しなさい。「賢人をまごつかせるために、世界の中で狂ったことを神は選んだのだ」と聖パウロは言います。
::::
光の戦士は、ある瞬間が繰り返されていると気付く。;自分がしばしば同じ問題に直面していることに気付く。前に直面した状況に彼は直面する。
それから彼は憂鬱になる。人生でどんな進化もできないのだと感じ始める。彼が過去に生きて来たのと同じことが何度も起きるのだから。
「これを経験したことがある」彼は自分の心に不満を漏らす。
「その通りだ」彼の心は答える。「だが、あなたはそれを越えたことがない」
そして戦士は、繰り返される経験には理由があり、それは私たちにまだ学んでいないことを教えるものだと悟り始める。繰り返される闘いそれぞれに対し、彼はいつも異なった解決法を見つける。そして、彼は失敗を過ちとみなさず、むしろ自分自身に出会う手段だと見る。
::::
過ちについての格言
あなたが私を一度欺けば、責任はあなたにある。あなたが私を2度欺けば、責任は私にある(アナグザゴラス)
自分の人生をもう一度生きなければならないなら、私は同じ過ちを犯すでしょうーただしもっと早く(タルラー・バンクヘッド)
成功への道は、失敗を取り巻いている(トーマス・ワトソン)
地獄を知るまでは、楽園はあなたにとって十分ではないだろう(クルドの諺)
過ちを犯すのは人間だ。だが、それはあなたに神性を感じさせる(メイ・ウェスト)
正しいことをするのは問題ではない;問題は何が正しいのか知ることだ(リンドン・ジョンソン)
うまくいくことがいつでも正しいとは限らない(デヴィッド・カピストラーノ)
私を悲しませる正しいことをするのを楽しむ過ちを犯すことを私は好む(ウィリアム・シェークスピア)
原文:http://paulocoelhoblog.com/?s=twenty+years+later