白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

20年後:バイカル湖のほとりで その2 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

20年後:バイカル湖のほとりで その2
2006/6/7
パウロ・コエーリョ

今は午後5時で、私は流れ去る水を見ている。私はその小さな流れを辿る。地上で最も素敵な場所のひとつにそれが流れ込むまで。それはシベリアのバイカル湖
「川は、同じ場所を決して2度は通らない。」と哲学者は言う。「人生は川のようだ」と別の哲学者は言う。それは、これが人生の意味に最も近い例えだという結論に導く。

しかし、今日私はちょうど別のことを見つけた。それはこうだ。:川の内側には川がある。その川は進むべき道、私のそばにある水の魂を示す。この小さな村には住人が水を汲みに来る井戸が今でもある。村全体に飲み水を与える本当の井戸を、私が最後に見てからどれくらい経つだろう?

私は川を再び熟視して、川になろうと努め、今それが私に教えているレッスンを理解する。:

A) 私たちはいつでも初めてを経験している。
私たちが源(誕生)から目的地(死)へと進む間、景色はいつでも私たちにとって新しい。私たちは怖れよりも喜びを持ってそれら全ての新しいものに対面するべきだ。なぜなら、避けられないものを怖れても意味がないからだ。川は決して流れを止めない。

B) 谷では私たちはよりゆっくりと行く。周りのすべてがよりゆるやかになったら水は静かになる。そうすると、私たちは広がり、開放的で、寛大になる。

C) 私たちの土手はいつでも肥沃だ。草木は水がある所でのみ成長する。誰と交流するようになっても、のどが乾いている人に飲み物を与えるために私たちがここにいるということを理解する必要がある。

D)石は避けなければならない。もちろん、水は花崗岩よりも強いが、それには時間が多くかかる。自分より強い障害物に支配をゆるしたり、それらと戦おうとしても意味がない。つまりそれは単なるエネルギーの無駄だ。最善なのは、どこに出口があるか理解してその方向に動くこと。

E) 陥没は忍耐を要求する。突然、川が穴かなにかに流れ込み、それまでのように楽しく流れなくなる。そのような時に脱出する唯一の方法は、時間の助けに頼ることだ。正しい時が来たとき、陥没は埋まり、水は先に進めるようになる。醜く、命のない穴の代わりに、今や他の人が幸せに眺められる湖が存在する。

F) 私たちは独特だ。
私たちにとって意味ある場所に生まれ、その場所はいつでも十分な水を供給し続けてくれる。だから失望に対峙したとき、私たちは必要な忍耐や前進する強さを持つだろう。たった1枚の葉っぱでさえ私たちの進歩を止める可能性があるとき、私たちは優しく、はかない道を進み始める。しかし、私たちを作った源の神秘に敬意を払いその永遠の知恵を信頼するとき、自分の道を進むのに必要な全てを私たちは少しずつ手に入れる。

G) 私たちは独特だけれど、すぐにたくさんになるだろう。旅を続けるにつれ他の水源からの水が加わる。なぜならそれが従うべき最善の道だからだ。だから私たちはもはやひとりきりではなく、たくさんだ。そして道に迷ったと感じる時が来る。聖書がこう言うにもかかわらず。「全ての川は海に注ぐ」。
ひとりぼっちのままでいることはロマンチックに見えるが、それは不可能だ。
他の水源との避けられない出会いを受け入れるとき、これによって私たちは遥かに強くなり、より簡単に遥かに短い時間で、障害物を回避したり陥没を埋めたりすることが出来るようになるとを理解することとなる。

H) 私たちは移動手段だ。葉っぱの、ボートの、アイディアの。私たちの水がずっと寛容でありますように。手助けが必要な全てのものや人を常に進展させることが出来ますように。

I) 私たちは霊感の源だ。ブラジル人の詩人マヌエル・バンデイラに最後の言葉を任せよう。:

「流れる川のように
真夜中に静かに
夜の闇を怖れずに
空の星を全て映しながら

もし空が雲でいっぱいなら
雲たちも川とおなじ水。だから
後悔なく彼らも映して
音のない深みのなかで」

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原文:http://paulocoelhoblog.com/?s=twenty+years+later