白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

20年後:エカテリンベルグとノヴォシビリスクの間 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

20年後:エカテリンベルグとノヴォシビリスクの間
2006/5/29
パウロ・コエーリョ

私はシベリアのちょうど中心にいる。
最初にサンチアゴへの道を辿ってから20周年を記念する90日間の巡礼について、ふとした時に、私はもう何度も疑問に思った。ソフィアにいたとき止めようかと思ったが、今は続けていることを幸せに思う。
絶えず貨物列車が揺れているので、列車の中ではとても書けないけれど、少なくともメモをいくつか書き留めることは出来るし、インターネットにつながる街に到着したらそれをコンピューターで書き起こすことも出来る。
このブログに集まる人々はそうやって、私の気持ちをよりよく理解出来るだろう。

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列車に乗っていた人の1人が、ある祈りの言葉を見せてくれた。
彼女が言うには、それは強制収容所で亡くなったユダヤ人の持ち物の中で見つかったものということだ。:

「主よ、あなたがあなたの栄光に入る時、善意の人たちだけを思い出さないで下さい。悪意の人たちもことも思い出して下さい。」

「審判の日には、彼らが行った虐待、拷問、暴力だけを思い出さないで下さい。彼らが私たちに対して行ったことによって生みだされた成果も思い出して下さい。
拷問した者が私たちの魂の中に喚起させることになった忍耐、勇気、結束、謙虚、壮大な精神、忠実さも思い出して下さい。」

「主よ、私たちが生み出す成果が、悪意の人の魂を守るために役立つことをお認め下さい。」

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私は、神が今日与えて下さったすべての恩恵を生きなくてはならない。
恩恵は蓄えるものではない。後で好きなように使うため、受け取った恩恵を預けておく銀行もない。
それらの祝福を楽しまなければ、私は永久にそれを失うだろう。

神は私たちが人生の芸術家だと知っている。
あるときは彫刻を作るためにノミをお渡しになり、翌日は筆とキャンバスを、それから書くためのペンをお渡しになる。
しかし、キャンバスにノミを使うことは出来ないし、彫刻にペンを使うことも出来ない。それぞれの日にそれぞれの奇跡があるのだ。
持っているものを作り上げるために、今日の祝福を私は受け取るべきだ。;無心の境地で、罪悪感を持たずに私がこれをするならば、明日はもっとたくさん受け取るだろう。

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人生は、私たちの個人的な伝説を遂行する長い自転車レースのようだ。
スタートでは私たちは全員一緒で、友情と熱意を共有する。
しかし、レースが展開するにつれ、最初の喜びは本当の挑戦に代わる。それは、疲労、単調さ、自分自身の能力への疑いだ。

私たちは何人かの友人が挑戦を諦めてしまったことに気付く。
彼らはまだレースを続けているが、道の途中で止まれないからというだけの理由だ。サポートカーの脇に沿って走る人、互いに会話を交わす人、義務を果たす人、そんな人たちが大勢いる。

私たちは彼らから離れることになる。そして、孤独、未知のカーブの出現、自転車の故障に直面しなければならない。しばらくすれば、そんなに努力する価値があるのかどうか疑問に思い始める。

そう、それはそれだけの価値がある。大切なのは諦めないことだ。

他はさておき、ペダルを踏むのを止めれば私たちは地面に落ちてしまう。

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人間が発明することができる強力な破壊の武器のうち、最もひどく、かつ最も臆病なのは言葉だ。

ナイフと火器は血の跡を残す。爆弾は建物や通りを破壊する。毒は最終的に検出される。

だが、破壊的な言葉は、何の痕跡も残さずとも悪を呼び起こすことができる。こどもは何年も両親によってしつけをされ、芸術家は容赦なく批判され、女性は夫の発言によって体系的に虐殺され、忠実な人々は神の声を仲介する能力があると主張する人々によって宗教から遠ざけられる。

あなたがこの武器を使っているかどうか知ろうと努めなさい。
彼らがあなたに対してこの武器を使っているかどうか知ろうと努めなさい。
これら2つは、どちらも許してはならないのです。

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スーフィーの賢者ハフィックの希少な著作のひとつから、旅の考えについての文章:

「道が矛盾に満ちているという事実を賢く受け入れよ。
次の曲がり角を越えた先に、何があるのかを見つけるよう旅人を刺激する目的で、道はしばしば道自体を否定する。」

「もしふたりの旅仲間が同じ方法に従っていたなら、彼らの一人が間違った道にいることになる。なぜなら、道の真実に達するための決まったやり方はなく、ひとりひとりが自分自身の歩みのリスクを負わなくてはならないからだ。
『無知な人だけが、他人の振る舞いをまねようとする。知性ある人はそれで時間を無駄にせず、個人の能力を高める。10万本の木が成す森に同じ葉は2枚とないということを彼らは知っているのだ。同じ道上の二つの旅は同じではない』」

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シベリアの諺(それを私は普遍的なことだと思っている):

空の星になれないなら、あなたの家庭の電球になりなさい。

賢者は死後も生き続ける。その体が灰になっていても。無知な人は生きていても既に死んでいる。

愛は、誰も治癒を望まない病気だ。その病にかかった者は回復しようとはせず、それに苦しんでも癒されることを望まない。

2頭の龍が戦うのを見たときは、距離を保ち、それらを分けようとしてはいけない。:それらの龍は自分たちで事をおさめるのかもしれず、あなたを攻撃することになるかもしれないからだ。

原文:http://paulocoelhoblog.com/2006/05/29/twenty-years-later-between-ekaterinburg-and-novosibirsk/