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20年後:巡礼道の伝説 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳  

20年後:巡礼道の伝説
2006/4/29
パウロ・コエーリョ

私が初めて(そして唯一)徒歩で巡礼をしてから20年後の2006年、コンポステーラの聖ジェームスへの道に沿って旅しながら、歩いていた時に聞いた物語をいくつか思い出す。
次に挙げる話には、それぞれ多くのヴァージョンが存在するが、私が最も興味深いと感じるものを選んだ。

●街の誕生

多くの伝説の中に、使徒ジェームスが福音を広めるためにローマの属州ヒスパニア(訳注:イベリア半島の古名)に行ったときのことを伝えるものがある。
エルサレムに戻り、彼は首をはねられる。

ジェームスの弟子のうちの2人、アタナシウスとセオドア。
彼らは、ジェームスの亡骸を舵のないボートにのせ、
潮の流れのみを導きとし、嵐の海に出航する。
彼らは遂に、ジェームスがイエスの言葉を説教した場所に着く。
弟子たちはそこにジェームスの亡骸を埋める。

時は過ぎる。
星のシャワーが何日間も原っぱに注いでいるのを、
ある日、ペラーヨという羊飼いが目撃する。
このシャワーに導かれ、ペラーヨは3つの墓の廃墟の上にやってくる。 
ジェームスと、彼の2人の弟子の墓だ。
王アルフォンソ2世はその場所に礼拝堂を建てた。 
その名は、「キャンパス・ステラ」(星の原っぱ)。
そして巡礼が開始された。
そのラテン名は少しずつ変化し、コンポステーラとなった。

●象徴の貝殻

ジェームスの亡骸を運ぶボートが、ガリシアに到着した日、
激しい嵐が、そのボートを岩だらけの海岸線にぶつけて粉々にしようとしていた。

通りすがりの男がその場面を見かけ、船乗りを助けようとして馬で海に乗り込んだ。
だが、彼もまた嵐の猛威の犠牲となり、溺れ始める。
全てが失われると思った男は、彼の魂に憐れみを、と天に請う。

その瞬間、嵐は弱まる。
ボートと馬の乗り手は、どちらもやさしく浜に打ち上げられる。
そこで弟子のアタナシオスとセオドアは気付く。
馬が、貝の一種である「ホタテ貝」で覆われていることに。

その英雄的な行いへの敬意として、貝殻は巡礼路の象徴となる。
道沿いのあらゆる建物の中、橋、記念碑、そして特に巡礼者のバックパックでそれを見つけることができる。

●運命を欺く試み

レコンキスタ(スペイン人がイベリア半島からアラブ人を追放して終わった宗教戦争)の間、彼はガリシアに行く途中だった。
シャルルマーニュ皇帝はモンハルディンの近くで裏切り者の軍隊に対面した。
戦闘の前、皇帝は聖ジェームスに祈る。
ジェームスは戦で亡くなる140名の兵士の名前を明かした。
皇帝はそれらの男たちをキャンプに残し、戦闘に出発した。

その午後遅く。皇帝の軍隊は1人の負傷者もなく勝利した。
彼がキャンプに戻ってみると、火が放たれて140名が亡くなっていたのを発見した。

●栄光の門

コンポステーラの聖ジェームスに到着すると、旅人は一連の儀礼に従わなければならない。
教会の玄関にある、とても美しいポーチコ(訳注:円柱で支えられた屋根付きのポーチ)に手を置かなくてはならないのだ。
この芸術作品は、1187年に王フェルディナンド2世がマシューという職人に依頼して作られたという言い伝えがある。

長年に渡り、マシューは大理石を細工し、中央の柱の後ろには跪いた自分自身の姿も彫った。

マシューが作品を仕上げたとき、街の住人は彼の目を突くことにした。
世界中のどこでも、このような驚くべき仕事を彼が決して繰り返すことが出来ないように。

原文:http://paulocoelhoblog.com/2006/04/29/twenty-years-later-legends-of-the-road/