白い部屋

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マヌエルは天国へ行く - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

マヌエルは天国へ行く 
2016/5/27
パウロ・コエーリョ

ある日、私たちの愛する、正直な、献身的なマヌエルは死ぬことになる。 ーこの人生の全てのマヌエル、パウロ、マリア、モニカに起こるように。ここで私はヘンリー・ドラモンドの言葉に頼る。彼の素晴らしい本「最高の贈り物」では、この時から起こることを言い表している。:

「私たち全員はあるとき、他の全世代と同じ質問をした。:『私たちの存在において最も重要なことはなんですか?』」

私たちの代わりに私たちの人生を生きることは誰にもできないので、私たちは自分たちの一日をできるだけ最善のやり方で使いたい。だから、どこに努力を向けるべきか、叶えるべき最高の目標が何なのかを知っておく必要がある。

私たちは、精神生活で最も重要な宝物は信仰だと聞き慣れている。宗教は何世紀もこの簡単な言葉に基づいてきた。それが世界で最も重要であるという信仰を守り続けるのか?そう、私たちは完全に間違っている。

コリント人への手紙の第13章で、聖パウロは私たちをキリスト教の初期に連れて行く。彼は最後に言う。:「そして今、信仰、希望、思いやり、それら3つを守りなさい。:だが、それらの中で最も偉大なのは思いやりだ。」

これは、これらの言葉の作者である聖パウロのうわべだけの意見ではない。 やはり少し前に信仰について話し、同じ手紙の中で彼は言った。:「私は信仰を持っているので山を動かすことができるけれども、思いやりを持っていないので、私は何者でもない。」ポールは質問を回避しなかった。;それどころか、彼は信仰と思いやりとを比較して結論を下した。「…それらのうちで最も偉大なのは思いやりだ。」

マシューは、最後の審判の日の古典的な説明を私たちに提案する。:神の息子は王座に座り、羊飼いのように羊からヤギを分ける。

そのとき、人間にとって偉大な質問は「どう生きたか?」よりむしろ、「どう愛したか?」だろう。

救済のためのあらゆる探求の最終試験は愛だろう。やったこと、信じたこと、達成したことは何も考慮されない。このどれも私たちが尋ねられることがないだろう。私たちが尋ねられるのは、隣人をどのように愛したか。私たちがした過ちは思い出されることすらない。し損ねた善行のために私たちは裁かれる。愛を内に閉じ込め続けるのは、神の魂に反するからだ。それは私たちが決して神を知らず、神が無駄に私たちを愛し、神の息子が無駄に死んだということを証明する。

この場合、我らがマヌエルは死の瞬間に救われる。なぜなら、彼は人生に意味を与えることがなかったが、愛し、家族を養い、することに威厳を持っていたからだ。幸せなエンディングだが、地球での彼の残りの日々はとても複雑だった。

ダボスの世界フォーラムでのシモン・ピールスの言葉を繰り返すと:「楽観主義者と悲観主義者はどちらも最後には亡くなります。だが、彼らは完全に異なるやり方で人生を使います。」

原文:http://paulocoelhoblog.com/2016/05/27/manuel-goes-to-paradise/