白い部屋

あなたと宇宙を泳ぐ

瞑想における猫の重要性 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

瞑想における猫の重要性 
2007/8/13
パウロ・コエーリョ

マユ・カギの禅寺を任されていた偉大な禅のマスターは、猫を飼っていて生涯それを本当に愛していた。
瞑想の授業の間、できるだけその同伴を楽しむため、彼は猫を常に脇に置いていた。

すでにとても年老いていたマスターは、ある朝亡くなっているのが見つかった。最年長の弟子が彼の後を継いだ。

「猫をどうすべきでしょうか?」他の僧が尋ねた。

前の先生の思い出に敬意を表して、新しいマスターは禅の授業に猫を参加させ続けさせるのを許可することにした。
この地域を広く旅した近隣の禅院の弟子たちは、地域で最も有名な寺のひとつで猫が瞑想に参加することを発見した。その話は広がり始めた。

何年も経った。その猫は亡くなったが、寺の生徒たちは猫の存在に慣れていたので別の猫を手に入れた。一方その間、他の寺が瞑想クラスに猫を紹介し始めた。;彼らは、猫が実際にマユ・カギの名声と教えの質に貢献していると信じていて、前のマスターがいかに素晴らしい先生であったかを忘れていた。

世代が代わり、禅瞑想における猫の重要性についての技術論文が発表され始めた。大学教授が学術的なコミュニティーで承認された論文を書いた。それによれば、猫は人間の集中力を高め、否定的なエネルギーを排出する能力を持っているということだった。

このように、1世紀の間、猫は禅学習の本質的な部分であるとその地方では考えられていた。
それから猫の毛にアレルギーがあるマスターが到着し、彼は生徒との毎日の練習から猫を排除することに決めた。
誰もが抗議したがマスターは言い張った。彼は才能のある先生だったので、猫の不在に関わらず生徒は進歩を続けた。

(常に新しい考えを探し求め、たくさんの猫に餌をやらなければならないことに疲れていた)他の寺はだんだんと、教室から猫を排除し始めた。次の20年で革新的な新しい論文が書かれ、「猫のいない瞑想の重要性」や「動物の助けを借りずに魂の力だけで禅宇宙の均衡をとること」のような説得力のあるタイトルがつけられた。

さらに1世紀が経ち、その地方の禅瞑想の慣例から猫は完全に姿を消した。しかし全てが通常に戻るのに200年かかっていた。
それはその間、猫がなぜそこにいるのかを誰も尋ねようと思わなかったからだ。
数世紀後にこの話を知った作家は日記にこう書いた。:

「自身の人生で、私たちの何人があえて尋ねるだろうか:「私はなぜ、そのようにその方法で行動するのだろう?」と。行うことの中で、私たちはどれほど無駄な「猫」を使っているのだろうか。それは、全てを円滑に動かすために重要だということを教わったので、取り除く勇気がなかった「猫」なのだ。」

原文:http://paulocoelhoblog.com/2007/08/13/the-importance-of-the-cat-in-meditation-2/