光の戦士と新年 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
光の戦士と新年
2008/1/3
パウロ・コエーリョ
ー待つやり方を知っていること
光の戦士は自分自身のために時間を必要とする。そして彼はこの時間を休んで、じっくり考え、世界の魂と触れ合うために使う。彼は戦闘の最中ですら、瞑想を成し遂げることができる。
ある時は、戦士は座ってリラックスし、彼の周りで起こっている全てを起こっているままにさせた。彼はあたかも傍観者のようにあたりを見回し、増やしたり減らしたりしようとすることなく、人生の動きに抵抗しないようにただ自分を委ねる。
とても複雑に見えていたすべてが少しずつ単純になる。そして戦士は幸せになる。
ー目標を発見すること
私たちが何かを望むとき、宇宙全体が私たちを味方する。光の戦士はこれを知っている。
それが、彼が思考に細心の注意を払うのはそれが理由なのだ。
たくさんの良い目的の下に隠れているのは、あえて誰もが自分自身に告白しない望みだ。:
それは、復習、自己破壊、罪、勝利への怖れ、他人の悲嘆への恐ろしい幸福です。
宇宙は判断しない。:
それは私たちが望むものの味方をする。それが、戦士が彼の魂の影を見るのに十分なほど勇敢で、それを許しの光で照らそうとする理由だ。
光の戦士は彼の思考の主人である。
ールーチンを理解すること。
戦士の道が決められた動作を行う期間を通過する瞬間がある。すると彼はブラツラフのナフマン(訳注:ナフマン・ブラツラフ ユダヤ教のラビ)に与えられたレッスンを適用する。:
「もしあなたがどうやっても集中ができないなら、またはあなたの日に悩まされるなら、あなたはただ1つの簡単な言葉を繰り返すべきだ、なぜならそれが魂を良くするからだ。他の事は何も言わないで、ただその言葉を延々と休むことなく繰り返しなさい。結局その言葉は意味を失い、それから新しい重要性を呈するだろう。神は扉を開き、あなたはあなたが望むことすべてを表現するためにその簡単な言葉を使うことになるだろう。」
戦士が同じ務めを何度も何度もやることを押し進めるとき、彼はこの戦術を使い、彼の作業を祈りに変える。
ー終わった年を祝福すること
戦士は過ぎ去って行ったその年のそれぞれすべての日を生きていた。そして、いくつかの大きな戦争で負けたにもかかわらず、彼は生き残ってここにいる。
これは勝利だ。この勝利のために、多くの困難な瞬間、疑いの夜、いつ終わるとも知れず待ち続ける日々を犠牲にした。古来、勝利を祝うことは人生そのものの儀式の一部であった。
ー祝賀は通過儀礼である
仲間は光の戦士の幸せを見て、ひそかに考える。:
「なぜこれをやるのだろう?彼は次の戦闘でやられるかもしれない。敵の激怒をおそらく引き起こすだろう。」
しかし戦士は自分の行為の理由を知っています。
彼は、勝利がもたらすことのできる最善のプレゼントから強さを得ます。:
それは信頼です。
戦士は、明日の戦闘のためにより強くなれるように、終わった年を祝福するのです。
原文:http://paulocoelhoblog.com/2008/01/03/the-warrior-of-light-and-the-new-year/