両親とこども - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
両親とこども
2018/4/16
パウロ・コエーリョ
私が若かったとき、両親は私を3度精神施設に送った(1966、1967、1968年)。医療ファイルにある理由は陳腐だ。私は学校で孤立しており、敵対的で悲惨だ、とそれは述べていた。私は正気でむしろ、作家になることを本当に望む17歳の若者であるだけだった。誰ひとりとしてこれを理解しなかったために、私は数ヶ月間監禁され精神安定剤を与えられた。療法は単に私に電気ショックを与えることから成っていた。私はいつの日かこの経験について書こうと自身に約束した。そうすれば若い人々は、人生のとても早い段階から自分自身の夢の為に戦わなければならないという事を理解するだろう。
私の精神病院での体験の隠喩である”ベロニカは死ぬことにした”を発表したとき、マスコミは私が両親を許したかどうかを尋ね始めた。事実、私は彼らを許す必要がなかった。私は起こった事の為に彼らを責めなかったからだ。彼らなりの視点からは、私が大人としての私の行為を成し遂げるのに必要な訓練を得るため、そして”十代の夢”を忘れるため、の手助けをしようとしていた。
ハリール・ジブラーンには、両親とこどもについてのある優れた文章がある:
あなたのこどもはあなたのこどもでない。
彼らはそれ自身を待ちこがれたその生命の息子であり娘である。
彼らはあなたを通って来るが、あなたからくるのではなく、
彼らはあなたと共に居てもなお、あなたに属するのではない。
彼らにあなたの愛を与えることができるかもしれないが、あなたの考えを与えることはできない。
彼らは彼ら自身の考えを持つからだ。
彼らの体を住まわせることができるかもしれないが、彼らの魂を住まわせることはできない。
彼らの魂は、あなたが夢の中でさえ訪ねることのできない明日の家に住むからだ。
あなたは彼らの様になろうと努めることができるが、
彼らをあなたの様にさせない様に努めなさい。
生命は後戻りすることなく、昨日に留まることもまたないからだ。
あなたは生きた矢であるこどもを放つ弓だ。
射手は無限の道の上に的をみて、
その人は矢が速く遠くへ飛ぶようにと
力であなたを曲げる。
喜んで射手の手の内で曲がりなさい;
その人は飛ぶ矢を愛するのと同様に、
しっかりとした弓をも愛するのだから。
原文:http://paulocoelhoblog.com/2018/04/16/on-a-mental-institution/