愛か夢か - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
愛か夢か
2007/11/18
パウロ・コエーリョ
私たちが愛するとき、私たちはいつも今よりも良くなるように努力する。私たちが今よりも良くなるように努力するとき、私たちの周りの全てもまた、より良くなるのだ。(「アルケミスト」1988年)
私が受け取る電子メールのほぼ半数は、愛のために夢を断念しなくてはならなかったという人々からだ。そして、幾人かの読者は質問をする:
1ー両親は愛するこどもに、彼らに幸せで安全であり、成功して欲しいと望む。しかし、”一般的な”道を辿ってさえも、成功は決して確かではなく、人生は安全ではない。"失う事"への怖れのために、多くの男性や女性は戦ってみようとさえしないでいる….仕事とこどものために他の何にも適応できないように思える1週間にも関わらず、成功したシングルマザーは何人いるだろうか。怖れであり、愛ではないが。(ジョゼフィン)
2−もし私が仕事をやることと愛する人と居ることのどちらかを選ばなければならないとしたら、確実に私は2番目を選ぶ。仕事はそこら中で見つける事が出来るけれども、人生を共に送る人を見つけるのは簡単ではないから。(マリア)
3−私は愛というのはその人の夢の不可欠な部分だと思う。もしあなたが愛を見つけたり維持したりするために夢を諦めなくてはならないとしたら、あなたが本当の愛を見つけたと私は思わない。愛はあなたが夢を実現するのを妨げない。(ダヴィニア)
4−その一生でたった一度だけ、地球の表面に居る他のどの生き物よりも甘く歌う鳥についての伝説がある。巣立った瞬間からとげのある木を探し、それを見つけるまでは休まない。それから、荒れた小枝の間で歌い、最も長く最も鋭いとげの上に自身を突き刺す。そして、死はそれ自身の激しい苦痛を越え、ヒバリとナイチンゲールの優れた祝歌にまで高まる。唯一無比の、代償のある歌。だが世界中は聴くために静まり、天国の神は微笑む。最高のためというのは、唯一多大な痛みの代償でのみ受け入れられる…あるいは、だから伝説は言う…"愛は人を彼または彼女の個人的な伝説から遠ざける事が出来るだろうか。いやーあなたの魂は死ぬだろうーもしあなたがそうすれば。けれどそれが人が払うべき代償だ。(ニニ・レベッカ)