本当の怖れを発見すること - パウロ・コエーリョのE-CARDSより
拙訳
本当の怖れを発見すること
2012/12/14
パウロ・コエーリョ
あるサルタン(訳注:イスラム教国の君主の称号)が、彼の最高の廷臣たち数名と航海をすることにした。彼らはドバイの港で乗船し外洋を渡り始めた。
陸から船が離れると、海を見たことがなく人生の多くを山で過ごした彼の臣下のひとりがパニック発作を起こした。
誰もが彼を落ち着かせようとし、旅が本当に危険なものではないと言った。彼らの言葉は彼の耳に届いているものの、心には触れなかった。
サルタンは船を回転させて港に戻る準備ができていました。そのとき、知恵があることで知られている大臣の一人が彼のところにやってきて、こう言いました。:
「殿下、あなたのお許しがあれば、私が彼を落ち着かせてみます。」
賢者はその男を海に投げ込むよう命令した。悪夢が終わろうとしていることに喜んだ乗員たちのグループは、もがく男を船倉から引き上げ海の中へ放り投げた。
廷臣はのたうち始めた。下へ行き塩水を飲み込み、また上がって来てさらに大声で叫び、もう一度沈み、また水面でもがいていた。
この時点で、大臣は彼を船の甲板に連れ戻すよう命令した。
そのとき以来、残りの航海を静かに過ごしたその男からの不満の言葉を、誰も少しも聞かなかった。
港に戻る直前、サルタンは大臣に尋ねた。:
「海に投げ込むことであのかわいそうな男を落ち着かせられるとどうして知っていたのか?」
「私の結婚で」と大臣は答えた。
「妻を失うのを私は怖れていました。私はとても嫉妬していたので、この男の様に、ずっと泣き嘆いて過ごしました。ある日、もう耐えられなくなって妻は私を去りました。そして私は気付きました。彼女の居ない人生がどんなにひどいかを。
「二度と私の怖れで彼女を苦しませないと約束したときにだけ、彼女は帰ってきました。同じように、この男は塩水を味わったことが一度もなく、溺れかけている人の激しい苦痛も理解したことがなかった。一旦その経験を知ったので、足下に船の甲板を感じることがどれだけ素晴らしいか、彼は完全に理解しました。」
「それはキリスト教徒の本、聖書に書かれている。:「私が最も怖れたすべてが起こった。」
一旦それを失う経験すれば、持っているものの価値がわかるものです。
原文:http://paulocoelhoblog.com/2012/12/14/discovering-the-real-fear/