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バエペンジのニャ・シカ - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

バエペンジのニャ・シカ
2007/7/4
パウロ・コエーリョ

奇跡とは何か?

あらゆる種類の奇跡には定義がある。つまり、自然の法則に逆らって起こる何かである、大きな危機の瞬間の神の介入の行為である、科学的に不可能だと考えられている、等だ。

私は自分の定義を持っている。それは、奇跡とは、魂を平和で満たす何かである。時々それは、治癒や願望実現の形態で顕現するが、それは問題ではない。結論はこうだ。奇跡が起こるとき、神が私たちを認めているという恵みのために、私たちは深遠な畏敬の念を感じるということだ。

20年以上前、私がヒッピー時代を経験していた頃、私の姉が、彼女の最初の娘の(訳注:洗礼の時の)名付け親になってくれないかと私に頼んだ。私はワクワクし、彼女が私に髪を切るように言わず(当時、私の髪は腰まで下がっていた)、高価な洗礼のプレゼントも要求しなかった(それを買うお金はなかった)ことが特に嬉しかった。

赤ちゃんが生まれ、一年が経ち、洗礼はなかった。私は、姉はおそらく気持ちを変えたのだろうと思ったので、何があったのか彼女に訊きに行った。彼女はこう答えた。:「あなたは今も名付け親よ。ただ、私がニャ・シカ(Nhá Chica)に約束したの。彼女が私の願いを叶えてくれたので、バエペンジで洗礼をしたいのよ。」

私はバエペンジがどこか知らず、ニャ・シカのことすら聞いたことがなかった。ヒッピー時代は過ぎ去り、私はレコード会社の重役になり、私の姉はもう一人こどもを持ったが、まだ洗礼はなかった。1978年、遂に決定が下され、彼女と彼女の元夫の二つの家族はバエペンジに行った。そこで私は、ニャ・シカは、生活する十分なお金を持っていなかったが、最後の30年間を教会を建て貧しい人を助けるために費やしたということを学んだ。

私は人生の非常に荒れた期間を経験していて、もう神を信じておらず、むしろ、精神世界が非常に重要だとは信じていなかった。重要なのは、この世界の事と、ここで達成できる事だった。私は若者時代の狂った夢を捨てており(その中には作家になるというのがあった)、その夢の世界に戻るつもりはなかった。単に社会的義務を満たすために、私は教会にいた。洗礼が始まるのを待っている間、私は外をうろつき始め、教会の隣にあるニャ・シカの質素な小さい家に入ることになった。二つの部屋、聖人の肖像がいくつか飾られた小さな祭壇、赤いバラ2本と白いバラ1本が活けてある花瓶。

衝動的に、当時の私の考えから全く外れて、私は誓った。:もし、いつか、なりたかった作家になることができたら、50歳の時にここへ戻って、赤いバラ2本と白いバラ1本を持ってきます。

純粋に洗礼の記念品として、私はニャ・シカの写真を買った。リオデジャネイロに戻る途中、ある事故があった。私の前を運転していたバスが急ブレーキをかけたのだ。私はコンマ何秒かのタイミングで何とか道の外に逸れ、私の義理の兄も同様だった。だが、私たちの後ろの車はまっすぐバスに突っ込み、爆発が起こり、数人が亡くなった。私たちはなすすべもなく道端に車を止めた。タバコを取り出そうとポケットに手を伸ばすと、守護の無言のメッセージとともに、ニャ・シカの写真があった。

夢、霊的探求、そして文学に戻る私の旅は、まさにそこで始まった。そしてある日、私は自分が善き戦いを戦うことに戻っているのを発見した。それは心を完全に平和にしてする戦いだ。なぜなら、それは奇跡の結果だからだ。私は、3本のバラを決して忘れなかった。遂に、私の50歳の誕生日が(当時は非常に遠く思えていたが)、やって来た。

そして、50歳の年がほとんど過ぎた。ワールドカップの期間中、私は誓いを果たすためにバエペンジに行った。私がカシャンブ(そこで私は夜を過ごした)に到着したのを誰かが見かけ、記者がインタビューしに来た。何をしているのか彼に言うと、彼は言った。:

「ニャ・シカについて話してくれませんか?今週、彼女の亡骸が発掘され、今、バチカンと一緒に列福式が行われています。彼女との経験の報告をするべきです。」

「いいえ。」と、私は言った。「個人的過ぎることです。サインを受け取った場合にだけお話ししましょう。」

そして私は一人考えた。:「どれがサインになるのだろう?唯一可能性があるサインは、誰かが彼女のことを話すことだ!」

翌日、花を買い、車に乗ってバエペンジへ行った。教会から少し離れたところで車を停め、以前辞めたレコード会社の重役のこと、私を再び元のところに連れ戻したたくさんの事を思い出した。家に入ろうとしたとき、若い女性が洋服店から出て来て言った。:

「あなたの本『マクトゥーブ』が、ニャ・シカに供えられているのを見ました。彼女はとても喜んだと思います。」

彼女はそれしか言わなかった。しかし、それが私が待っていたサインだった。そして、この文章が私がしなければならなかった公表だ。

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