白い部屋

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マスターとの会話:仕事 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

マスターとの会話:仕事
2008/7/21
パウロ・コエーリョ

(私は、1982年から1990年の間のJ.との会話からのメモの書き直しを続けている。)

ー人は、人生、人々、そして周りのすべてのことに注意を払うわなければならないと、あなたは私に理解させようとしました。あなたがこれまでして来たのは仕事だけであるという印象を私は持っています(当時、J.はオランダの多国籍企業の役員だった)。

あなたの質問に直接答える代わりに、インドの詩人タゴールから引用しよう。:
「私は眠り、人生が喜びである夢を見ていた
私は目を覚まし、人生が奉仕であると知った
私は行動した。すると見よ。奉仕は喜びだったのだ」
実際に仕事を通して、私は人生、人々、周りで起きるすべてのことを発見した。」

「私が落ち込まないように用心しなければならない唯一の罠は、それぞれの日が次の日と同じだと考えることだ。実際に、それぞれの朝は、その中に隠された奇跡をもたらし、私たちはこの奇跡に注意を払わなければならない。」

ー任務は何ですか?

二つの反対の意味を持ち得る神秘的な言葉。即ち、熱意の欠如、または1人より多くの人と私たちの愛を共有しなければならないという理解。
最初のケースでは、私たちは常に自分の責任を引き受けない言い訳をしている。
二つ目のケースでは、任務は献身の形態、そして人間というものへの無制限の愛の形態になり、私たちは起きて欲しいことのために戦い始める。

私は自分の仕事を通してこれをしようと努める。それは、私の愛を共有すること。愛は不思議なものでもある。分ければ分ける程、それは増えるのだ。

しかし、聖書では、仕事は神が人間に課した一種の呪いと考えられている。アダムが原罪を犯した時に、全能の神がこう言うのを聞く。「人生のすべての日々、汝は悲しみの中でそれを食べなければならない。顔の汗で、汝はパンを食べなければならない。」

そのとき、神は宇宙を動かし始めている。その時まで、すべては美しく、牧歌的だった。 ーだが、何も進化しておらず、私たちが述べたように、アダムは毎日を別の日と同じようだと考え始める。そのときから、彼は自分自身の存在の奇跡の感覚を失う。それから、主は自分の創造物を見て、この感覚を征服するために彼に再び手を貸すべきだと理解する。

「この文章は、前向きな解釈で読まれるべきだ。つまり、退屈が食物に変わり、汗はパンの調味料になる。このようにして、すべては完璧に収束するが、まず、アダムとすべての人類は、相互理解の道を歩まなければならない。」

ーなぜ、人間の大きな夢のひとつが、いつか仕事をやめることなのでしょう?

何ヶ月、何年も何もせずに過ごすことがどういうことか、知らないからだ。それに、自分がしていることを愛していないからだ。というのも、愛する女性から離れたい人はおらず、している愛することを止めたい人はいないのだ。
あるいは、仕事に尊厳を持っていないからだ。彼は、仕事が自尊心を傷つけるものではなく、人間を助けるために作り出されたものだと言うことを忘れてしまっているのだ。

千夜一夜物語」の中に、これについての面白い話がある。カリフ(訳注:ムハンマドの死後、全イスラム教徒を統率した、宗教上・政治上の最高権威者。一三世紀に廃絶)のアルラム・アル・ラシッドは、彼の王国の偉大さを示すために宮殿を建設することにした。彼は、最高の芸術作品、デザインされた庭園、個人的に選択した大理石とカーペットを一同に集めた。さらに、選ばれていた土地のそばに住宅があった。アル・ラシッドは大臣に、取り壊すためにそこを売るよう所有者(年老いた織工だった)を説得することを命じた。
大臣は試みたが無駄に終わった。その老人はそこを手放したくないと言ったのだ。
老人の決断を聞いた法廷会議は、彼を単に追い出すことを提案した。
だめです、とアル・ラシッドは答えた。ー彼は人々にとって私の遺産の一部となるでしょう。宮殿に来るとき、彼らは言うでしょう。:彼は私たちの文化の美を示すための仕事をした。
そして住居を見るとき、彼らは言うでしょう。:彼は公正だった。別の人の仕事を尊重しているのだから。

臆病者には世界は恐ろしく思える。彼らは偉大な挑戦を避けるために人生の偽の安全を求める。そして、彼らが所有していると考えているものを守るために自分自身を重装備する。臆病者は自分のエゴの犠牲者で、結局は彼ら自身の刑務所のかんぬきを設置するのだ。

 

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