白い部屋

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熊野への道 1/5 - パウロ・コエーリョのE-CARDSより

拙訳

熊野への道 1/5
2008/4/8
パウロ・コエーリョ

2001年2月のある午後、私は列車を降り、カツラという29歳の日本人女性に会った。

ー熊野への道へようこそいらっしゃいました。

私は、私の顔を照らす夕日を駅の向こうに見た。熊野への道とはなんだろうか?国際交流基金によって計画された私の公式訪問のプログラムになぜこの遠隔地が含まれているのか、旅の間、私は発見しようとしていた。通訳は、私にはたった5日間しかなく、ほとんどの時間を車で移動しなければならないけれど、私の友人であるマドカ・マユズミがこの場所を訪れることを主張したのだという。マドカは、1999年にサンチアゴへの道を歩いたことがあり、これが私に感謝を伝える最善の方法だと彼女は考えた。

列車に戻り、通訳は言った。「熊野の人々はとても不思議です」。それはどういうことかと私は彼女に尋ねた。すると彼女は返事を一言に抑えた。「信心深い」。私はそのことを後押ししないことにした。人はしばしば、リーフレット、本、インターネット上のガイドライン、友人のコメントを全て読み、自分自身で発見すべきことを何もかも知ってからその場所に到着し、どの旅でも最も重要な要素である「予想外」の余地を与えずに、素晴らしい巡礼の旅を台無しにするのだ。

ー石まで行きましょう。
とカツラが言った。

私たちは数メートル歩いて小さな方尖塔まで行った。それは、両側に彫り込みがあり、角に設置されていた。車やバイクが行き過ぎる中、歩行者やコンビニエンスストアの間になんとか場所を確保している。その地点から、熊野古道はふたつに分かれていた。

ー左に行けば、天皇が使っていた道に沿って巡礼します。右に行けば、一般の人々の道を進みます。
カツラが言った。

天皇の道の方が美しいかもしれません。でも、一般人の道は、確実にもっと活気があるでしょう。

彼女は答えに満足しているように見えた。私たちは車に乗り込み、雪で覆われた山々に向かって走った。運転しながら、カツラはその場所についていくつかのことを説明した。:熊野は、丘陵地、森林と谷がたくさんある半島の土地で、いくつかの宗派が、互いに平和に共存しています。大きなものは仏教と神道(日本の国教で、仏教の影響よりも古く、自然の力への崇拝に基づいている)ですが、あらゆるタイプの信仰と霊的顕現が、ここでは見られます。

私は知りたかった。
ー巡礼道は何キロですか?

見たところ、彼女は分からなかったようだ。私は日本語に訳してもらえるよう通訳に頼んだが、それでもカツラは私の質問に当惑しているようだ。

彼女はやっと言った。
ーそれは、あなたがどこで出発するかによります。

ーもちろんです。でも、サンチアゴへの道の場合、ナバラから出発するとおよそ700キロです。ここはどうですか?

ーここでは、巡礼道はあなたが自宅を出発した時から始まり、帰宅した時に終わるのです。この場合、あなたはブラジルに住んでいるので、距離を調べなければなりません。

私は知らなかったが、返答の意味はわかった。巡礼道は旅における一段階なのだ。私は、スペインのサンチアゴへの道を歩いた後、帰宅する前にマドリッドで4ヶ月間を過ごしたときに、やっと本当に自分に起きたことを理解したことを思い出した。

カツラは続けた。
ー私たちは物事を見てすぐには理解しません。あなたが慣れ親しんでいる人間を、あなたは置いてこなければなりません。彼はそこに留まり、あらゆるものの母である女神のエネルギーによって、良い部分だけが養われ続けます。あなたが害となる部分は、養分の欠如で死ぬことになります。悪魔は他の人々で忙しく、魂がそこにいない人の世話をし続ける時間がないからです。

私たちは、2時間ほど小さな曲がりくねった山道を登り、ある種の宿泊所に着いた。入る前にカツラが言った。:

ーここに女性が暮らしています。彼女が何歳か私たちは知りません。だから私たちは彼女を山姥と呼んでいます。私は近くの村に行って、木こりを連れてきます。彼があなたに道の行き方を説明してくれます。

日が暮れ始め、カツラは霧の中に消えた。私はそこに立って、山姥が扉を開けるのを待っていた。

(つづく)

 

 

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